オペラの世界5「ベルカントとはなんでしょうか」《2》

Buongirono a tutti!

毎回好評の、音楽評論家・河野典子さんによる「オペラの世界」。今日は前回に引き続き「ベルカント」について皆さんと一緒に学びたいと思います!

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オペラの「原語上演」が世界中に普及したのは、実はここ30年ぐらいのこと。それまではそれぞれの国の言葉に翻訳されて上演されてきました。今や外国語を母語(マザー・ランゲージ)とする歌手によってイタリア語でオペラが歌われることが、当たり前になりました。しかし、ベルカント(唱法)のテクニックは、あくまでイタリア語を母語とするものなのです。そこで今回は、同じラテン系の母語を持つ歌手たち、あるいは、英語圏の歌手たちの特徴に触れながら、「ベルカント唱法」の話をもう少し掘り下げて書いたアントニーノ・シラグーザ(T)のリサイタル・プログラムのエッセイ(「ベルカントとイタリア語、そして、イタリア人」)を転載します。

イタリアですら絶滅寸前のベルカントの歌唱技術
ベルカント・オペラが、イタリアの作曲家であるロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティといったイタリア人作曲家の作品を指すように、ベルカントという歌唱法は基本的にはイタリアの伝統的な歌唱法のことで、その伝統を継いでいるのは当然イタリア人……のはずなのですが、その法則が近年かなり怪しくなってきました。

今夜聴いていただく、アントニーノ・シラグーザ(T)は、その生き残りの一人とも言えるでしょう。これは以前ほかならぬシラグーザ自身が言っていたのですが、彼のようなイタリア人のテノーレ・レッジェーロ(あるいはテノーレ・ディ・グラーツィアTenore di grazia)の系譜は、彼を最後に途切れるかもしれない。そして実際、残念ながらそうなりつつあります。

歌手のレパートリーの考え方は時代とともに変化している

現在の状況を生んだ一因は、レッジェーロの音色だったパヴァロッティが、リリコからリリコ・スピントのレパートリーまでを歌い、かつそれが評価されたことにあります。生まれ持った声が明るく軽いテノールたちが、キャリアを始めて数年で、ベルカント・オペラを捨ててどんどん重いレパートリーに手を出すようになってしまいました。きちんとした訓練を積んでいない、いわば見切り発車の歌手が多くなったこともその原因の一つです。それこそ、パヴァロッティのようにしっかりとした技術があればこそ、ラダメスを歌いながらもネモリーノに戻ることもできたわけですが、そうした技術を修得していない若い歌手たちが、その時の自身の声に合わないレパートリーに手を出すことによって、あっという間にその人が本来持っていた声の魅力が失われ、ベルカント・オペラを「歌いきれなく」なってしまうという残念なパターンがとても多くなりました。

ラテン系の言語を母語にする歌手たちの場合
テノーレ・レッジェーロといえば、シラグーザのひと世代下にフアン・ディエゴ・フローレスがいます。素晴らしい歌手です。彼は、南アメリカのペルー出身。ペルーの公用語はご存知のようにスペイン語です。パヴァロッティと並んで三大テノールとして名を馳せたドミンゴ、カレーラスもスペイン出身。レッジェーロの分野では彼らよりもほんの少し上だったアルフレード・クラウスもスペイン出身でした。彼らは世界中の聴衆を魅了して来た超一流の歌手たちです。

しかし、彼らの歌唱は、イタリア人によるベルカントとは、どこか微妙に異なるのです。どこが違うのだろう、と実はずっと考えてきました。私は言語学者でも音声生理学の専門家でもないので、彼らの録音や実際の歌唱を聴きながら漫然と考えてきたに過ぎないのですが、どうもそれは母語の性質の違いによるようなのです。イタリア語とスペイン語。同じラテン系のとてもよく似た言語です。ラテン系にはフランス語も含まれます。印刷された文章を眺めると、これらの言語はとてもよく似ていますが、いざ話されてみると、発音の方法が大きく異なっていることがわかります。唇の先を細かく使い、(歌唱ではなく喋る時に)Rを喉の奥の方で、無音で発音するフランス語。イタリア語にはない「は行」の多いスペイン語(例えば「日本」はJapònハポンと発音されます)。そしてその「は行」は日本語の「はひふへほ」よりもずっと深いところで発音されるのです。イタリア語には語尾を呑み込む、あるいは曖昧な発音となる言葉はほとんど存在しませんが、その他の言語はそうではありません。また、イタリア語は歌われるとき、母音と子音が(ごくわずかな)時差を生じさせながら飛んで行きます。例えば「ダー」と歌われるときには「ダ・アー」と、伸ばしている音からは母音だけが聴こえてきます。フランス語も似た傾向ですが、スペイン語は、子音を巻き込んだままで「ダー」と聴こえて来ます。

イタリア人が歌う外国語、そしてドイツ人やロシア人が歌うイタリア語
イタリア人が歌うフランス語には、なかなかフランス語の持つちょっとシャレた雰囲気は出せません。ラテン系からは離れますが、イタリア人が歌うドイツ語は、なんだか青空の下でやたらに明るく健康的ですし、逆にドイツ人が歌うイタリア語は子音が強く、どこか言葉が重くなります。ドイツ語というのは本来滑らかに歌われる言葉なのですが、子音が多いという性質上、声は前に飛んで行くのではなく歌手の真上に立ち昇って行きます。ロシア人ともなれば、彼らはその豊かな体格と筋力を生かして自分の体を共鳴させて音にしていくため、彼らが歌うとイタリア語がものすごい馬力で歌われる感覚をこちらが持つことになります。

英語圏の歌手の特徴

英語圏の歌手にも独特の癖が出ます。素晴らしい歌唱テクニックの持ち主だったソプラノ・リリコ・レッジェーロのジョン・サザーランドは、オーストラリア訛りの英語の発音が、イタリア語の歌唱のあちこちに顔を出していました。アメリカのロッシーニのスペシャリストのメゾ、マリリン・ホーンにも同様のことが言えました。英語は歌う時に、口角がピッと張った状態になり、(ブロードウェイ・ミュージカルを思い浮かべていただければわかるように)白く美しい上の歯がよく見える状態になります。あれはショウ・ビジネスだから笑い顔を見せているのではなく、英語の性質によるもので、アメリカのオペラ歌手がイタリア語やドイツ語で歌う時の口元は、ヨーロッパ出身の歌手と比べて美しい歯並びがキラッと光って見える確率が全く違います。口角を張って喋る英語を母語とする歌手たちの発音は、それがイタリア語であっても意外と口の中の奥まったところでなされるのです。それらは良い悪いではなく、それぞれの母語の持つ「特性」なのです。

絶滅の危機に瀕しているイタリアのベルカント唱法

喋るポジションというのは、DNAに組み込まれているというか、母語の性格をどこまでも引きずり、後天的には変わりきらないものなのです。ですから厳密な意味では、ベルカントというのはイタリア語を母語として生まれ育った歌手にしかできないのです。しかし現代では、イタリア人であってもベルカント歌唱のテクニックをしっかり継承している歌手がほとんどいなくなってしまいました。イタリアのベルカント唱法の伝統は、文字通り消滅の危機に瀕しているのです。

(東京プロムジカ主催2017年7月4日「アントニーノ・シラグーザ テノール・リサイタル」プログラムより転載)


Antonino Siragusa

〈河野典子プロフィール〉
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982〜89年在伊。帰国後音楽評論家としてイタリア・オペラを主とした公演批評、来日アーティストのインタヴューなどを「音楽の友」「GRAND OPERA」などの各誌に執筆するほか、来日アーティストのプログラム執筆やCDライナー・ノーツの翻訳、NHK BS〈クラシック倶楽部〉の歌詞字幕などを担当。

2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に『オペラ・ハイライト25』(学研)。2017年3月、イタリア・オペラ58作品の「あらすじ」や「聴きどころ」を詳説した『イタリア・オペラ・ガイド』(発行フリースペース、発売星雲社, 2017)を出版。またNHKFM「オペラ・ファンタスティカ」でも案内役を務めている。

〈過去のブログ〉
オペラの世界4~「ベルカント」とは何でしょうか~
オペラの世界3~マエストロ ファビオ・ルイージ~
オペラの世界2~演奏家インタヴューの通訳~
オペラの世界1~アッバードとの稽古は「芸術を創り上げる喜びの時」でした~

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オペラの世界4 「ベルカント」とは何でしょうか 

Buongiorno a tutti!

今日は3月に新著を出版されたばかりの音楽評論家・河野典子さんにオペラの世界についてお話を頂きます。
これを読めばオペラを聴くのが益々楽しくなりそうです!

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拙著(イタリア・オペラ・ガイド)を執筆していた間、長らくお休みをいただいていたブログへの連載を再開させていただこうと思います。

今回は、イタリア・オペラを語る上で欠かせない「ベルカント」という言葉について、今年2月に演奏会のプログラムに書いたものを転載します。

イタリアのベルカントとは何か。
私たちはイタリア・オペラやイタリア歌曲を優れた歌手を聴くと、「ベルカント歌唱の技術に優れている」とか「ベルカントが素晴らしい」などとよく口にし、また文章にもします。
しかし、その「ベルカント(bel canto)」を具体的に定義しようとすると、果たしてそれはとても感覚的で曖昧なものなのです。

今回はその「ものさし」を言葉にしてみます。

まず、「ベルカント・オペラ」という場合、これは19世紀前半に活躍したロッシーニ(1792~1868)、ドニゼッティ(1797~1848)、ベッリーニ(1801~35)らの作品群を、「ベルカント歌い」も同様に、この時代の作曲家の作品を得意のレパートリーとしている歌手のことを指します。厄介なのは「ベルカント」と独立して使う場合です。

「ベルカント」という言葉は、イタリア・オペラ(イタリアの作曲家によるイタリア語の)歌曲の歌唱テクニックを評価するときに使います。「ベルカント」という言葉とセットのようにして出てくるのが、「リネアーレlineare」や「スル・フィアートsul fiato」といったイタリア語の単語です。

「リネアーレ」に歌うとは、例えば一曲のアリアの中で、フレーズごとに切って新たに一から盛り上がり始めるのではなく、その曲の最初から最後までが一本の線(リネア=ライン)で繋がっているように、音楽の流れを途切れさせずに歌うことを指します。

とはいえ、潜水競技ではないのですから、もちろん歌手は息継ぎもしますし、休符では音をきちんと切ります。

一例として、プールで長距離を泳ぐ様子を想像してみてください。

上手なスイマーは、クロールで泳ぎながら水の中でフーッと息を吐き、ちょっと顔を横にあげて息を肺に入れることを何気なく繰り返しながら何キロでも泳いでいく、あの感じです。
詩の一節ごとに現れる違う山(ピーク)をそれぞれ別個に新たに歌うのではなく、歌い初めからその曲の終わりまで一陣の風が丘の起伏を撫でるように吹いていくように歌う、と言ったらよいでしょうか。

もう一つの「スル・フィアート」は、直訳すれば「息の上(に)」です。これは前述の風を息として、「息(=fiato)の上に(=sul)乗せて歌う」という意味です。
孫悟空を乗せたキン斗雲は、スルスルと風に乗って飛んでいきます。その雲に乗ってどこまでも自在に飛んで行く孫悟空が、いわばベルカントの「声」なのです。

イタリア人は、実は日本人とさほど変わらない体格をしています。ドイツや東欧圏のような分厚い胸板や大柄な身体には恵まれていませんので、自らの身体を振動させた声を劇場全体に響かせることは物理的に難しい。そこで劇場の空気を巻き込むようにして「省エネ」で、より遠くまで声が届くように工夫されてきたのが「ベルカント」の技術です。いわば必要に迫られて発達してきた技術なのです。そのためには深く息を吸って、体全体を、固めるのではなく、逆に筋肉を柔軟に使い、かつ胸から上だけの浅い呼吸による歌唱にならないための「息の支え(アッポッジョ=appoggio)」も必要になります。自然に呼吸し、喋るような状況をオペラの歌唱でも作り出すのが「ベルカント歌唱のテクニック」の最終目的地です。ですがその域に到達するまでの努力は、並大抵ではありません。

ベルカントとイタリア語の密接な関係
ベルカントにはイタリア語の特質が大きく影響しています。一例としてドイツ語とイタリア語を比較してみましょう。ドイツ語はイタリア語に対して圧倒的にS、T、Pなどの子音が多く使われています。言葉の頭に3つの子音が重なって存在することも多々あります。そしてその子音が明確に発音されなければ、言葉として聞こえてきません。それに対して、イタリア語は母音が主となる言葉です。(ふだん喋る言葉ではなく、クラシック音楽における歌唱法に限っての話ですが)イタリア語では、母音を響かせることが第一義となります。子音が母音の流れを邪魔してはなりません。さらさらと流れる小川である母音の水の流れを、楔を打つように子音が止めてはならないのです。イタリア語の子音は、流れている母音の上に木の葉で作った舟(子音)をそっと乗せてやるだけで、言葉として聴衆の耳に届きます。ところが、言葉を立てるべく「子音をしっかり発音しよう」とすると、子音が息の流れを遮断してしまい、その時点でベルカントの歌唱から離れてしまうのです。

息の流れを止めないことと、明晰なディクションのバランス
息の流れを言葉が邪魔しないことを最優先にしていたのは、スペイン出身の名ソプラノ、モンセラート・カバリエでした。彼女は、息の流れを邪魔しそうな場合に子音を言わないなど「声の美しさ」を何よりも優先しました。彼女のフレージングの長さ、上から下まで均一な音色はベルカント歌唱の見本でもあります。現在は歌手に、より明晰な発音が求められます。ベルカントの技術に立脚してそれができる一人が、今夜お聴きいただくエヴァ・メイです。レッジェーロ系のベルカントの名手には、他にもレナータ・スコット、ルチアーナ・セッラ、マリエッラ・デヴィーア……何人もの名前が挙がりますが、人の声は指紋と同じで、それぞれ声質が違います。メイの声はその中でも中身のギュッと詰まった音質を持ち、モーツァルトやバロック音楽のレパートリーにも向いています。それが彼女の生まれ持った声質なのです。歌手は自分の声に合ったレパートリーを選んで歌っていくのが本筋で、彼女はそれを守ってこれまでキャリアを積んできました。


マリエッラ・デヴィーア
(photo-by-Corrado-Maria-Falsini)


モンセラート・カバリエ

その歌手の歌がベルカントと呼べるかどうかの判断基準を最後に一つお教えしましょう。聴いていて喉元がむず痒くなったり、聴き終わってこちらの身体が硬くなった感じのするときは、その歌手の呼吸が浅く、体に力が入って歌っている証拠。いい歌手を聴いたあとは、身体の中の、上から下まで息が自在に通って、気持ちよく帰路につけるものです。お試しあれ。
(東京プロムジカ主催2017年2月20日「エヴァ・メイ ソプラノ・リサイタル」プログラムより転載)

〈河野典子プロフィール〉
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982〜89年在伊。帰国後音楽評論家としてイタリア・オペラを主とした公演批評、来日アーティストのインタヴューなどを「音楽の友」「GRAND OPERA」などの各誌に執筆するほか、来日アーティストのプログラム執筆やCDライナー・ノーツの翻訳、NHK BS〈クラシック倶楽部〉の歌詞字幕などを担当。

2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に『オペラ・ハイライト25』(学研)。2017年3月、イタリア・オペラ58作品の「あらすじ」や「聴きどころ」を詳説した『イタリア・オペラ・ガイド』(発行フリースペース、発売星雲社, 2017)を出版。またNHKFM「オペラ・ファンタスティカ」でも案内役を務めている。

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オペラの世界3~マエストロ ファビオ・ルイージ~
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オペラの世界3 ~マエストロ ファビオ・ルイージ~

Buongiorno a tutti!

今日は河野典子さんがファビオ・ルイージについて話してくださいます!

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私これまでに指揮者のファビオ・ルイージ(Fabio Luisi)氏をインタヴューさせていただいたことが2回あります。

 

最初は、マエストロがまだドイツを中心に活躍していらした頃のこと。日本の劇場にイタリア・オペラの指揮でいらした時でした。そのときのマエストロは、英国仕立てを思わせるシックな三つ揃いのスーツをお召しでした。

イタリア人アーティストのインタヴューは多くの場合、ひとつ質問を投げかけると先方のお話しは限りなく、あちこちへと広がっていきます。(逆に言えば、こちらの質問の答えだけをいただいて、「さて次の質問ですが」という展開に持っていくのはとても難しいということでもあります。もしもそういった形で相手が興に乗ってお話しされているのを遮ると、大概はご機嫌が悪くなっていきます。)

 

ところが、そのときのマエストロ・ルイージは、こちらの繰り出した質問の内容にのみ、簡潔にお答えになられると、スッと黙ってしまわれます。下手をすると質問にたいして、SiかNoしかおっしゃらない。普段であれば、「それはどういうことですか?」「ほうほう、それでどうなりました?」などと合いの手を入れてお話しを伺っているだけで、時は飛ぶように過ぎてゆき、私はインタヴュー用に決められた時間内に終れるかどうかを心配するのですが、このときばかりは勝手が違いました。静寂に支配されてインタヴュールームの時計の秒針が時を刻む音が響き渡るようでした。

2度目のインタヴューは、マエストロが本拠地をドイツからニューヨークに移されてから、オーケストラの指揮で来日されたときでした。とあるホールの楽屋において、オーケストラのコンサート本番の直前(最終稽古と本番までの間)の20分間がインタヴュー時間として与えられました。前回の経験がありますし、神経質そうなマエストロの、それも本番寸前のインタヴューです。私は珍しく質問を箇条書きにして緊張気味にホールに出向きました。(他のアーティストのインタヴューには気楽に出向くというわけではございません。あしからず。)着いてすぐ、まずは舞台袖の扉の窓から舞台の様子を覗き込みました。

 

そこで私は自分の目を疑いました。そこには派手なピンクの花柄のシャツをお召しのマエストロの姿があったからです。柄の派手さは長袖のハワイのアロハシャツといった趣でした。

 

さて、稽古が終ってマエストロが楽屋に戻っていらっしゃいました。インタヴューを始めてみると、まぁなんとも楽しげにお話しになられること!それは私が心の中で「もしや前回とは双子でまったく性格の違うご兄弟?」とあらぬ疑いを抱いたほどでした。

 

本番寸前ですから、マエストロに本番前に音楽に集中する時間を作っていただかなければとこちらは気が気ではありません。インタヴューを15分を過ぎたあたりから、私は楽屋の時計をチラチラ見上げ始めました。それに気がつかれたマエストロが「大丈夫!あなたが時間の心配する必要なんてありませんよ。本番開始までにはまだ30分以上ある。僕は着替えるのにそんなに時間がかかりませんから。(笑)で、何の話でしたっけ、あ、そうそう、それでね……」と話を続けられたのです。

ほんの数年の間にこれほどまでに印象が変わった方は、マエストロが初めてでした。本来シャイな方のようですから、初対面の人間には緊張されたということもあったのかもしれませんが、ニューヨークというイタリア系の人々も多く住む開放的な土地柄が、元より彼の持っていた(であろう)イタリア人らしい、明るく人懐っこい部分を引き出してくれたように思えてなりませんでした。

 

それでは、また。

 

 

イタリア文化会館

イタリア語コース

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オペラの世界2 – 〜演奏家インタヴューの通訳〜

Buonasera a tutti!

今日は「オペラの世界」の新しいコーナーで音楽ライターの河野典子さんにあまり注目されない部分を紹介してもらいます。

お楽しみください。

 

〜演奏家インタヴューの通訳〜

イタリア語を使って来日演奏家のインタヴューをする場合、やはりその対象はオペラ歌手がもっとも多くなります。私自身、基本的には声楽関係あるいは指揮者でもオペラを振りに来日されたケースにおいてのみインタヴューをお引き受けすることにしています。しかし時には、空いているイタリア語通訳者が見つからないという理由で、指揮者はもちろん、器楽の演奏家の通訳に駆り出されることもあり、そんなときは(いつにも増して、かつ、付け焼き刃の)準備に大わらわとなります。

オペラのタイトルでも、たとえば日本では《椿姫》として知られるヴェルディのオペラの原題が《La Traviata》(ラ・トラヴィアータ:道を踏み外した女)であるように、質問者の話す日本語のタイトルが、イタリアではどう呼ばれているのかを知らなければ、こちらは先方に「どの曲の話をしているのか」をまずお伝えすることすらできないのです。イタリア・オペラであれば、その多くの原語のタイトルはなんとかわかりますが、たとえばドイツ・オペラの有名なワーグナーの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》は、イタリア語になると《I maestri cantori di Norimberga》(イ・マエストリ・カントーリ・ディ・ノリンベルガ)となります。事前に調べているときであれば「なるほどね…、ニュルンベルクはノリンベルガになるのね」などと感心する余裕もありますが、通訳の最中に突如出て来たときには、せめてドイツ語の原題である 《Die Meistersinger von Nürnberg》が口をついて出てこなければ万事休すとなります。それが交響曲、器楽曲の話ともなればなおのこと、冷や汗をかくぐらいでは済まされません。通訳を本業としていらっしゃる方々の知識量と日々の努力にはただただ敬服するばかりです。

ご縁があって何度か拙い通訳をさせていただいた弦楽器奏者のBさんは、質問する批評家が、自身のBさんの演奏に対する感想を滔々と述べられているのを私が冷や汗をかきながら訳していると、手元にあった雑誌から目を離すこともなく「彼の僕の演奏に関する感想を聞いてもしょうがない。質問になったら訳せ」とおっしゃりながら知らぬふりでページをめくられています。やっと(笑)質問にたどり着いたのでその内容を伝えると、彼はやおら話し始めました。ところが!その答えが質問に負けじと文学的で、かつ長いのです。なんとかして話を遮って日本語に訳そうとしても彼は構わず話を続けます。私にとっては、とてつもなく長い時間が経過していきます。業を煮やした私が「お願いだから訳させて!」と頼んだ(ほとんど泣きついた)ところ、表情一つ変えず、こちらを見るでもなく「お前なら訳せる。最後まで行くぞ!」とにべもなく却下。話はその後10分近く続きました。あとからそのときの録音テープを聞き直したところ“奇跡的”に訳した内容の大意は間違ってはおりませんでしたが、寿命が縮む思いでした。

これまで何百回とインタヴューを受けていらしたに違いない、とある超ヴェテランの指揮者は、やはり批評家の持論の展開を私が必死になんとかして通訳しようと試みていると、表情一つ変えず、私の方を見るでもなく批評家の顔を見つめたままで、小声でこう言われたのです。「シニョーラ、訳さなくてもいい。彼の考え方に興味はない。質問になったらそれだけを訳してくれればいいから」。こちらも下を向いてメモをとりながら小声でマエストロに「でも黙っていたら私が仕事をしていないと思われます」とお伝えしました。「ならばこうしよう。昨日は何を食べたかね?イタリア語はどこで勉強したんだ?イタリアでの先生は誰だったんだ?ああ、彼女の結婚式に僕は出席したよ…。僕に話しかけてさえいればいいんだから、構わないから君の好きな話をしなさい」と助け舟を出して下さったのでした。(しかし、通訳をするふりをしながらフリートークをしろ、というのも私にとってはイタリア語の口頭試問を受けているようでしたが…。笑)

自戒の意味を含めてですが、日本の批評家や記者の質問は大変回りくどく、持論を展開し尽くして、質問らしい質問もなく話し終わってしまう方が時々いらっしゃいます。記者会見などで、通訳さんが「すみません、ご質問はなんでしょうか?」と聞き返すことがあります。当該の質問者はムッとした顔をされますが、私は通訳さんへの同情を禁じ得ません。

こちらは実名を出させていただいてもよいと思うのですが、ヴァイオリニストのジュリアーノ・カルミニョーラ(Giuliano Carmignola)さんの通訳を仰せつかった折のことです。このときには数時間にわたり何本かのインタヴューが続きました。そのうちのおひとりは、実に的を射た簡潔な質問をされる方で、カルミニョーラさんも熱心に答えていらっしゃいました。話がバロックと現代の弓の違いになったときのことです。弦楽器に全く疎い私が内心「さて、困った、たとえ直訳はできても、いったいどういう違いなのか、私には実物のイメージがつかめない…」と思いながら訳しておりますと、カルミニョーラさんはその質問にスラスラと答えながら、万年筆をポケットから取り出すとテーブルの上にあったメモ用紙になにやら書き始められたのです。そしてそれをスッと私に渡して下さいました。開いてみたところ、そこには2種類の弓の絵が描いてあり、どこがどう違うかをきちんと説明して下さってありました。おかげで彼の言わんとしたことを適切に日本語で伝えさせていただくことができたと思っております。インタヴュー終了後に「なぜ私が弓のことがわからないと気付かれたのですか?」と伺ったところ「うん、お前の顔色が悪くなったから(笑)」と言われました。私が赤面したのは言うまでもありません。そのデッサンはいまでも大切な私の宝物です。

こんなふうにイタリア人特有の温かい方々に助けられた経験は、これまで山のようにあります。

では、このつづきはまたの機会に。

河野典子

 

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オペラの世界: アッバードとの稽古は「芸術を創り上げる喜びの時」でした

Buonasera a tutti!

 

今日は新しいコーナーを紹介したいと思います。

イタリアと言えばオペラが思い浮かぶ方は大勢いらっしゃると思います。イタリア好きの方に限らず世界中に愛好家がいるオペラについてこれから少しずつ理解を深めていきたいと思います。

この企画に協力していただけるのは「音楽の友」などの各誌に執筆する音楽ライターの河野典子さんです。有名な歌手などとのインタビューを通して見えてくるオペラの世界を一緒に覗いてみたいと思います。

このコーナーの第一号として、「リゴレット」などで有名なバリトンのLeo Nucciを紹介します。

 

 

Leo Nucciレオ・ヌッチ(バリトン)


1942年生まれ。現代を代表するヴェルディ・バリトン。

特に《リゴレット》のタイトルロールは彼の当たり役と言われ、2014 年4月4日のウィーン国立歌劇場での公演で同役出演500回を祝う。2013年のミラノ・スカラ座歌劇場来日公演においてもそのリゴレット役で圧倒的な存在感を示し、聴衆の喝采を浴びた。

 

 

 

アッバードとの稽古は「芸術を創り上げる喜びの時」でした

 

――あなたの日本デビューは、アッバード指揮によるスカラ座の《セビリャの理髪師》でした。

レオ・ヌッチ(以下N)マエストロ・アッバードが、スカラ座で最後に振ったオペラ公演となった84年の《セビリャの理髪師》でも僕は同じくフィガロを務めました。彼は生まれながらの並外れた才能の持ち主である上に典型的なイタリアン・スピリッツの持ち主で、ロッシーニの数々の作品にしみこんでいるイタリア人の陽気さを伝えることができました。僕がスカラの合唱団員だった頃のポネル演出の《チェネレントラ》も素晴らしい公演でした。録音で参加した《ランスへの旅》も作品の美しさが再発見されたのみならず、やっていてとても愉しかったし、音楽的にも、声楽芸術としても高いレヴェルのものでした。彼はロッシーニ指揮者としても超一流でした。

81年の来日公演のとき、こんなエピソードがありました。《セビリャ》の楽日、歌手たちとオケがアッバードにいたずらを仕掛けて、歌のレッスンの場面で、マエストロに内緒で伯爵役のアライサとバルトロ役のダーラが2人で《トロヴァトーレ》のマンリーコのアリア“見よ、あの恐ろしい炎を”を歌う準備をしていました。ところがアッバードの方がうわてで……実は僕が一枚噛んでいたんですが……、その瞬間、マエストロは何の迷いもなくあの有名なアリアを振り始めた。それにはメンバー全員がびっくりして、そのあと爆笑の渦でした。

 

――あなたはスカラ座で70年代の終わりからアッバードの指揮で《ドン・カルロ》のロドリーゴ、そして《シモン・ボッカネグラ》のパオロを歌い、83年には《ドン・カルロ》(フランス語版)の録音にも参加されました。そして90年にはウィーン国立歌劇場でも彼の指揮でシモンを歌っていらっしゃいます。その10年ほどの間で、アッバードのヴェルディはどのように変化していきましたか。

彼はとてもロマンティックなスタイルの持ち主でした。それはシンフォニーのレパートリーでも同じだったと思います。偉大な芸術家の提示する音楽は、常に変化する、というより、変わらねばならない、と僕は思っています。その点においてもアッバードは本物の芸術家でした。そして彼は他者に対して常に寛大であり、社会的な問題の解決にも尽力した人でした。それこそがヴェルディを演奏する者には欠かさざるべき資質なのです! なぜならヴェルディが飾りもののきれいな音楽を書いた人ではなく、人の心の琴線に触れる人間の本質をえぐる音楽を書いた人だったから。そしてアッバードには、そのヴェルディの音楽を再現できる力がありました。彼とは《ドン・カルロ》の他に《アイーダ》も録音しました。あの頃はまだ……残念ながら、生きた感情の流れを伝えるクラシック音楽に適しているとは言いがたい……スタジオでの録音でした。しかしアッバードはそのカリスマ性と、あの微笑みで、皆を音楽の素晴らしい世界に導いていったのです。

 

――アッバードがオペラ公演を作り上げて行くとき、彼は歌手とどのように関わってきたのでしょうか。

アッバードとの稽古で「悪夢のような思い」をしたことは一度もなく、それはいつも「芸術を創り上げる喜びの時」でした。それは歌手だけでなくオーケストラのメンバーにとっても同じだっただろうと思いますよ。彼には“呼吸のセンス”というものがありました。それは歌の分野だけでなく、彼の音楽全体に言えることでしょう。彼が歌手たちに無理なことを押し付けたことはありませんでした。それは彼の考え方が柔軟であったと同時に、問題を解決するために実にいろいろな方法を知っていた、彼だからこそ可能だったことと言えましょう。

 

――イタリアの音楽界にとってクラウディオ・アッバードとはどんな存在でしたか。

イタリアの音楽界はこれまでの歴史で最も偉大な指揮者のひとりを、イタリアは卓越した文化人を失いました。そして僕もまた、ひとりの大切な友人を失いました。

 

 

インタヴュアー:河野典子

「音楽の友」2014年3月号より転載。なお、イタリア語によるインタヴュー原文は、レオ・ヌッチ氏のオフィシャル・サイトに掲載されています。

Leo Nucci Official Website

 

 

プロフィール

インタヴュアー:河野典子(Noriko Kohno)

東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982〜89年在伊。帰国後音楽評論家としてイタリア・オペラを主とした公演批評、来日アーティストのインタヴューなどを「音楽の友」「GRAND OPERA」などの各誌に執筆するほか、来日アーティストのプログラム執筆やCDライナー・ノーツの翻訳、NHK BS〈クラシック倶楽部〉の歌詞字幕などを担当。

2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に「オペラ・ハイライト25」(学研)。

 

 

イタリア文化会館

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