ちょっぴりイタリア・オペラ〜有名なオペラの内容を知ろう ヴェルディ《ドン・カルロ》#2

第4幕* ロドリーゴのアリア〈私の最期の日が来ました〜おおカルロよ、お聞きください〉
(*5幕版)

Verdi 《Don Carlo》Atto quarto* “Per me giunto… O Carlo ascolta” (Rodrigo)
(*versione in 5 atti)

イタリア語5幕版の台本表紙

2020年1月にこのシリーズで採り上げたのは、同じくオペラ《ドン・カルロ》から、国王フィリッポ2世のアリア〈彼女は私を愛したことがない〉でした。そして今回はカルロ王子の親友であるロドリーゴ(ポーザ侯爵)のアリア〈私の最期の日が来ました〉から、「ロドリーゴの死」としても知られる〈おおカルロよ、お聞きください〉までをお届けします。これは、ヴェルディ・バリトンの代表的なアリアのひとつに数えられます。

この《ドン・カルロ》というオペラのストーリーには、宗教的弾圧が含まれています。この場合は、カトリックによる新教の弾圧のことで、圧政に苦しむフランドルの人々の存在が描きこまれています。

スペインに支配され圧政に苦しむフランドルの新教徒の人々を救うことに命を懸けてきたロドリーゴは、親友のカルロ王子をその思想の中に巻き込んで行きます。カルロは新教徒を弾圧し、処刑することもいとわない国王に対し反抗的な態度を露わにします。それがフィリッポ国王の怒りに触れ、カルロは反逆者として、投獄されてしまいます。

ロドリーゴは、新教徒を救う道は、カルロがカトリック一辺倒のスペインを変えていくことにあると考え、本当の反逆者は王子ではなく自分だと申し出て、国王の配下の者に撃たれ、カルロの目の前で命を落とします。

1884年のミラノ・スカラ座での上演の際の描画

今回採り上げたシーンは、前半が、ロドリーゴが死を覚悟してカルロに別れを告げる場面。後半が銃弾を受けたロドリーゴが息絶えるまでとなります。

Per me giunto è il dì supremo, no, mai più ci rivedrem;

私の人生に最期の日が来ました もうお会いすることはできないでしょう

ci congiunga Iddio nel ciel, Ei che premia i suoi fedel’.

神に忠実であった我々を天でまた合わせてくださるでしょう

Sul tuo ciglio il pianto io miro; lagrimar così perché

あなたの睫毛に涙がみえます 泣く理由などどこにありましょう

No, fa cor, l’estremo spiro lieto è a chi morrà per te.

しっかりしてください あなたのために死ねる者は幸せです

O Carlo, ascolta, la madre t’aspetta a San Giusto doman.

ああカルロ 聞いてください 母上が明日サン・ジュストでお待ちです

tutto ella sa… Ah la terra mi manca…

あの方は全てをご存知です ああ この世が遠ざかっていく 

Carlo mio, a me porgi la man!

親愛なるカルロよ 私の手を握っていてください!

Io morrò, ma lieto in core,

私は死んで行きますが 心は晴れやかです

chè potei cosi serbar alla Spagna un salvatore!

スペインの救世主となる方をお救い出来るのですから!

Ah! di me non ti scordar!

ああ どうか私のことを忘れないでください!

Regnare tu dovevi, ed io morir per te.

あなたは治めるべきことをするのです そして私はあなたのために死にます

Ah! Io morrò, ma lieto in core………ecc.

ああ!私は死んで行きますが 心は晴れやかです etc.

Ah! La terra mi manca… la mano a me…

ああ!この世が遠ざかっていく… 私に手を…

Ah! salva la Fiandra…

ああ!フランドルをお救いください 

Carlo addio, ahime!

カルロよ お別れです ああ…..

(河野典子)

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ちょっぴりイタリア・オペラ〜有名なアリアの内容を知ろう ロッシーニ《セビリャの理髪師》

ロッシーニ《セビリャの理髪師》第1幕よりロジーナのカヴァティーナ*「今の歌声は」

Rossini :IL BARBIERE DI SIVIGLIA Atto primo (Rosina) “Una voce poco fa” (Cavatina*)

原作はフランスの作家ボーマルシェ(Beaumarchais本名Pierre-Augustin Caron:1732-99)による4幕の戯曲「セビリャの理髪師、あるいは無益な心配Le barbier de Séville ou La précaution inutile」で、それをステルビーニ(Cesare Sterbini:1784-1831)が2幕もののイタリア語の台本にした。しかし世界中で公演されているこの作品は、実はいわば二番煎じで、1782年にパイジエッロ(Giovanni Paisiello:1740-1816)がペトロッセリーニ(Giuseppe Petrosselini:1727-97頃)の台本で、同じ素材で同じ題名のオペラを発表して当時のヨーロッパの劇場で大当たりを取っていた。そのためロッシーニは当初このオペラを《アルマヴィーヴァ、あるいは無益な心配Almaviva, o sia l’inutile precauzione》として発表している。その後ロッシーニの作品が有名になり、パイジエッロの作品が世間から忘れ去られるに至って、こちらが《セビリャの理髪師》と呼ばれるようになった。

(ちなみにタイトルにあるスペインの地名は、イタリア語ではSivigliaと表記される。またスペイン語ではvの音はbに近く発音されるので、日本語ではセビリャあるいはセビリアと記載されるのが妥当であろう。)                                    

アルマヴィーヴァ伯爵は、両親を亡くして医者のバルトロが後見人となっている娘、ロジーナに恋をしている。バルトロも自分の年も顧みず、彼女の財産目当てにロジーナとの結婚を企んでいる。そこに昔、伯爵にマドリードで世話になり、今はここ、セビリャで床屋(でもある何でも屋)を営むフィガロが登場。知恵を絞って、伯爵とロジーナを結びつける。

この「今の歌声は」は、第1幕の第2場で、ロジーナの性格を余すとこなく描いた、いわば彼女の名刺がわりとも言えるカヴァティーナ。運命は自分で切り開いていくという気概のある、お転婆なこのお嬢さんは、このオペラの最後に伯爵とめでたく結ばれる。だが彼女はこれから数年後、今度は伯爵に浮気される悩める妻としてモーツァルトのオペラ《フィガロの結婚Le nozze di Figaro》に登場することとなる。

またロジーナは、楽譜の指定ではソプラノとされているが、メゾ・ソプラノが歌うことが多い。ヴォーカルスコアには、このカヴァティーナのメゾ用の変ホ長調と、軽めのソプラノ用のヘ長調の楽譜の両方が掲載されている。

*カヴァティーナcavatina:繰り返しを持たない比較的短めのアリアのこと。そのあとにカバレッタcabalettaと呼ばれる動きのある終結パートがつくことが多い。

Una voce poco fa qui nel cor mi risuonò;

さっきの歌声は私の心に鳴り響いたわ

il mio cor ferito è già, e Lindor fu che il piagò.

私の心にはもう刻み込まれたわ、リンドーロが射抜いたのよ

Sì, Lindoro mio sarà; lo giurai, la vincerò…

ええ、リンドーロは私のものよ、誓ったの、勝ち取るって

Il tutor ricuserà, io l’ingegno aguzzerò.

後見人が拒否したって、私は機転を利かせて

Alla fin s’accheterà, e contenta io resterò…

最後には彼をなだめて、幸せになるわ

Io sono docile, son rispettosa,

私はおとなしくて、丁重で

sono ubbediente, dolce, amorosa;

従順で、やさしくて、愛らしいし

mi lascio reggere, mi fo guidar.

言うことを聞いて、それに従うわ

Ma se mi toccano dov’è il mio debole,

でも、もし私の弱点に触れようものなら

sarò una vipera e cento trappole

蛇みたいにいろんな仕掛けを使うわ

prima di cedere farò giocar.

降参させるまで

(河野典子)

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ちょっぴりイタリア・オペラ〜有名なアリアの内容を知ろう ドニゼッティ 《愛の妙薬》

ドニゼッティ 《愛の妙薬》第2幕よりネモリーノのロマンツァ*「人知れぬ涙」

Donizetti : L’ELISIR D’AMORE  Atto secondo (Nemorino) “Una furtiva lagrima”

今回はテノールの代表的な一曲、ガエターノ・ドニゼッティ (1797-1848)が作曲した《愛の妙薬》から、「人知れぬ涙」をお届けします。

純朴で内気な村の青年ネモリーノは、農園経営者であるアディーナに恋をしています。ネモリーノはなんとか彼女を振り向かせようと、村に巡ってきた怪しい旅の薬売りのドゥルカマーラから、「これは恋に効く“愛の妙薬”だ」と安ワインを売りつけられては、それを信じて飲む始末。酔っぱらった勢いでなんとか彼女に恋心を告白しようとしますが、恋敵の将校ベルコーレの出現もあって、ネモリーノの行動は空回りするばかりで、なかなかうまくいきません。

実はネモリーノのことを憎からず思っているアディーナなのですが、はっきりしない彼の態度に業を煮やして、言い寄ってきたベルコーレと結婚すると言い出します。こちらはこちらで、相当な意地っ張り。

このドタバタ喜劇の終盤で、ネモリーノは、彼に金持ちの伯父さんの遺産が入ることを知った村娘たちから、突然チヤホヤされます。それをネモリーノは「愛の妙薬の効果だ!」とノーテンキに喜んでいます。

そんな様子を遠くから見てアディーナがひそかに涙を流していたのに気がついたネモリーノが、恋の成就が近いことを感じて歌うのが、この有名なロマンツァです。

そしてふたりがめでたく結ばれて、このオペラはハッピーエンドで終わります。

*ロマンツァRomanza:この時代のオペラでは、叙情的、感傷的な歌詞とメロディによる曲を作曲家自身が「アリア」ではなく「ロマンツァ」と記載している。

Una furtiva lagrima negli occhi suoi spuntò:

彼女の目からひそやかな涙がこぼれた

quelle festose giovani invidiar sembrò.

あの賑やかに騒ぐ娘たちを羨んでいるように、僕には思えた

Che più cercando io vo?

それ以上僕は何を望むというんだ?

M’ama, lo vedo.

彼女は僕のことを愛しているんだ、間違いない

Un solo istante i palpiti del suo bel cor sentir!

ほんの一瞬でも、彼女の純粋な心のときめきを聞くことができたら!

I miei sospir confondere per poco a’ suoi sospir!

僕のため息が、ちょっとでも彼女のため息と一緒になれたら!

Cielo, si può morir;

神様、死んだっていいです

di più non chiedo.

これ以上のことを僕は願いません

Si può morir d’amor!

愛のためなら、死ぬことだってできます!

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ちょっぴりイタリア・オペラ〜ヴェルディ《ナブコドノゾル》

ヴェルディ《ナブコドノゾル》第3幕よりヘブライの奴隷たちの合唱 「行け、想いよ、黄金の翼に乗って」

Verdi NABUCODONOSOR (NABUCCO) Atto terzo Coro di schiavi Ebrei “Va, pensiero, sull’ali dorate”

1842年初演当時の台本

世界中がコロナウイルスに苦しんでいます。

ご存知のようにイタリアは、大変な苦難の中にあります。

そこで今回は、アリアではなくイタリア人にもっとも愛されているオペラ合唱曲と言っていい《ナブコドノゾル》(ナブッコ)第3幕の「行け、想いよ、黄金の翼に乗って」をご紹介します。

旧約聖書に題材を得たこのオペラの主役、ナブコドノゾルは日本ではネブカドザネル2世(NebuchadozanzzarⅡ)と呼ばれるバビロンの王。彼はエルサレムからヘブライ人たちを捕らえてバビロンに強制的に連行してきた「バビロン捕囚」で知られています。この合唱曲はユーフラテス川の川辺で、ヘブライ人たちが、懐かしい故郷を思って歌うもの。愛国心を歌うものとしてイタリア人に愛されています。

「 行け、想いよ」合唱部分冒頭

イタリアとイタリアの人々が、この苦難を無事に乗り越えてくれるようにとの願いを込めて。

“Va, pensiero, sull’ali dorate;
Va, ti posa sui clivi, sui colli,

行け、想いよ、黄金の翼に乗って行け、
斜面や丘でその翼を休めながら

Ove olezzano tepide e molli
L’aure dolci del suolo natal!

温暖で、とてもいい薫りの
生まれ故郷の優しいそよ風のもとへ

Del Giordano le rive saluta,
Di Sïonne le torri atterrate

ヨルダンの川岸によろしく言っておくれ
壊されたシオンの塔の数々にも

Oh mia patria sì bella e perduta!
Oh membranza sì cara e fatal!

ああ美しく、そして失われた我が祖国よ!
いとおしく、そしてつらい思い出よ!

Arpa d’ôr dei fatidici vati,
Perché muta dal salice pendi?

運命の予言者たちの金の琴よ
なぜ柳の木に掛けられて黙っているのだ

Le memorie nel petto raccendi,
Ci favella del tempo che fu!

我々の記憶再び燃え上がらせ
我々の(幸せな)日々のことを語っておくれ

O simìle di Solima ai fati
Traggi un suono di crudo lamento,

あるいはエルサレムの運命の記憶の
つらい嘆きを奏でておくれ

O t’ispiri il Signore un concento
Che ne infonda al patire virtù……

さもなくば、この苦難に耐える力を与える
主の温かいお言葉を……

(河野典子)

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ちょっぴりイタリア・オペラ〜有名なアリアの内容を知ろう カタラーニ《ラ・ワリー》

カタラーニ《ラ・ワリー》第1幕でワリーが歌うアリア「ならば?私は遠くへいきましょう」〈さようなら、故郷の家よ〉

Alfredo Catalani LA WALLY  Atto primo “Ebben?… Ne andrò lontana” (Wally)

《ラ・ワリーLA WALLY》 のピアノ楽譜の表紙

オペラ《ラ・ワリーLA WALLY》はアルフレード・カタラーニAlfredo Catalani(1854-93)作曲の全4幕のオペラ。現在では公演されることがほとんどないが、この《ラ・ワリー》は1892年ミラノ・スカラ座における初演時には大成功を収めたという。現在ではこのアリアだけが頻繁に演奏される。

このオペラの舞台となっているのは1800年頃のスイス・チロル地方。

地主シュトロミンガー(Bs)の娘、ワリーは、狩人のハーゲンバッハ(T)に恋している。しかし父は執事のゲルナー(Br)と娘が結婚することを望んでいる。その結婚話を拒否した娘に、父は「家から出て行け!」と言う。それを受けて歌われるのが、この〈さようなら、故郷の家よ〉である。

この物語はこの後ワリー、ハーゲンバッハ、アフラ(Ms)、ゲルナーの恋心が交錯し、ワリーの気を惹きたいゲルナーが、ハーゲンバッハを橋から突き落とす。ワリーが助けに走り、ハーゲンバッハは一命を取り留める。アフラを愛していたはずのハーゲンバッハだが、自分の本当の気持ちに気づき、ワリーに愛を告白する。雪山でふたりが固く抱き合ったとき、雪崩が起きてハーゲンバッハは巻き込まれ谷底に落ちていく。ワリーがいくら呼んでもハーゲンバッハの返事はない。絶望したワリーが自ら谷底へと身を投げて、このオペラは終わる。

アルフレード・カタラーニ

Ebben?… Ne andrò lontana,

ならば?…私は遠くに行きましょう

come va l’eco della pia campana

聖なる鐘がこだましていくように

là, fra la neve bianca; là fra le nubi d’ôr;

あの白い雪の中に、金色の雲の間に

laddove la speranza è rimpianto, è dolor!

そこで望めるのは、悔恨、そして苦悩!

O della madre mia casa gioconda,

ああ、幸せだった私の母なる家よ

la Wally ne andrà da te, da te lontana assai,

ワリーはお前から、お前から遥か遠くへ行くでしょう

e forse a te non farà mai più ritorno,

そして多分お前のもとには二度と戻らないでしょう

ne più a rivedrai! mai più, mai più.

ワリーを二度と見ることはないでしょう!けっして

Ne andrò sola e lontana………ecc.

私はひとりで、遠くへ行くでしょう…… etc.

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ちょっぴりイタリア・オペラ〜有名なアリアの内容を知ろう ヴェルディ作曲《ドン・カルロ》

第4幕*でフィリッポ2世が歌うアリア「彼女は私を愛したことがない」
Verdi DON CARLO atto quarto* “Ella giammai m’amò”
*5幕版の場合。4幕版では第3幕となる。

1867年パリ初演時のポスター

スペインのフェリペ2世の息子、ドン・カルロスをタイトルロールに据えたヴェルディのオペラのことを日本では一般的に、最初にヴェルディが作曲したフランス語版を《ドン・カルロス》、イタリア語に翻訳されたものを《ドン・カルロ》とすることが多いが、実際のところ、その呼び方は混在している。今回はイタリア語版を取り上げるので本文中の役名はイタリア語版に沿うことにする。

このオペラには5幕版と4幕版がある。ざっくり言ってしまえば、王子カルロが、まだ見ぬ婚約者エリザベッタの顔を見に行き、森で出会う場面から始まるのが5幕版。それはバッサリとカットして、すでに彼女がカルロの父、フィリッポ2世と政略結婚させられて、すでに数年経たところからスタートするのが4幕版となる。

フェリペ2世

絶大な権力を誇っていたそのフィリッポ2世が、夜明け間近の書斎で、眠れないままに、若き妻エリザベッタが「彼女は私のことを愛したことがない」と嘆き、権力者の孤独と悲哀をしみじみと語るのがこのアリア。5幕版での第4幕(4幕版では第3幕)冒頭に置かれるフィリッポのドラマティックなこのアリアは、ヴェルディのオペラにおけるバスを代表するアリアのひとつで、「自分に安らかな眠りが訪れるのは、死を迎えた時だけだろう」と語る。

エリザベート・ド・ヴァロワ

ところで、このフィリッポ2世という役を演じるには大人の色気を要する。この後の場面で登場する老齢の宗教裁判長に、カトリックの長である王として、新教への(つまりは父に反目する息子カルロにも)もっと厳正な処分を求められるなど、多くの問題を抱えている。(史実では彼は息子の婚約者であったフランス王アンリ2世の娘エリザベートを政略結婚で自分の妻にしたのは32歳。相手は10代半ばである。年齢の離れた妻が、自分に心を開かないのは致し方ない。)絶対君主として16世紀のスペインに君臨した王の孤独を、フィリッポ役のバス歌手は、このアリア一曲で表現せねばならない。なぜならここ以外の場面では、フィリッポはあくまで王としての「表の顔」で存在し、ここだけがひとりの男として弱みを見せる場面となる。史実を鑑みれば、ドン・カルロスが亡くなった時、フェリペ2世は41歳。72歳まで生きたこの王にとっては壮年期ではあるものの、国王としての日々の苦悩が、歌詞にあるような白髪の混ざった老成感を醸し出していたと考えるのが妥当だろう。

ドン・カルロ

なお史実のエリザベートは、フェリペ2世との間に2女をもうけたが、ドン・カルロスが亡くなった数ヶ月後に、彼女も病気でこの世を去っている。

また、歌詞に出てくるエスコリアル(現エル・エスコリアル修道院)は、フィリッポ2世自身が建設させたもので、実際、その中にある王家の墓所に、彼自身が眠っている。

ドイツではこの役は、バス・バリトン(バッソ・バリートノ:basso = baritono)が手掛けるとも聞くが、イタリアでは普通にバス(バッソ:basso)が歌う。それはイタリア人のバスの声というのが、柔らかく明るめのバッソ・カンタンテ:basso cantante がほとんどで、ドイツ人のように大柄な体格で、筋力も強く、もっと音域が低くて深く強いバスの声(いわゆるバッソ・プロフォンド:basso profondo)があまり存在しないことにも起因する。少なくとも18世紀までのイタリア・オペラにおけるバスの役は、こうしたカンタービレを歌える、柔らかな声のために書かれたものがほとんどである。

Ella giammai m’amò!…
Quel core chiuso è a me,
amor per me non ha!…

彼女は決して私を愛したことはない!
彼女は心を私に閉ざして
私への愛など持ってはいないのだ!

Io la rivedo ancor contemplar trista in volto
il mio crin bianco il dì che qui di Francia venne.
No, amor non ha per me!…

私には今もあの時の、彼女がフランスから来た日の私の
白髪に目にした時の彼女の悲しげな顔が
目に浮かぶのだ!
そうだ、彼女は私に愛を抱いたことなどないのだ!

Ove son?… Quei doppier!…
Presso a finir!…
L’aurora imbianca il mio veron!

私はどこにいるのだ? 
ロウソクの炎が燃え尽きようとしている!
部屋のヴェランダが暁に白み始めている!

Già spunta il dì. Passar veggo i miei giorni lenti!
Il sonno, oh Dio! sparì dagli occhi miei languenti!

再び一日が始まる。私の遅々として進まない日々が過ぎていく!
眠りも、ああ神よ、私の疲れ切った目から消え去ってしまった!

Dormirò sol nel manto mio regal
quando la mia giornata è giunta a sera,

私は王のマントに包まれて、ひとり眠るだろう
私の人生という一日が、黄昏を迎えたときに

dormirò sol sotto la vôlta nera
là, nell’avello dell’Escurïal.

私は眠るだろう、あのエスコリアルの
丸天井の下の暗い霊廟の中で

Ah! se il serto real a me desse il poter
di leggere nei cor, che Dio può sol veder!…

ああ、もしも王冠が私に、神だけが持つ
人の心を読む力を与えてくれたなら!

Se dorme il prence, veglia il traditor.
Il serto perde il Re, il consorte l’onor.

王子が眠っていても、裏切り者は目覚めている
冠は王を、夫を、名誉を失うのだ

Dormirò sol nel manto mio regal・・・

私は王のマントに包まれて、ひとり眠るだろう・・・

                (文・抄訳:河野典子)

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Filed under: オペラの世界 — イタリア文化会館東京 11:29

ちょっぴりイタリアオペラ〜有名なアリアの内容を知ろう ヴェルディ作曲《運命の力》

第4幕でレオノーラが歌うアリア「神よ、平和を与えたまえ」
Verdi LA FORZA DEL DESTINO atto quarto “Pace, pace, mio Dio” (Leonora)

アレクサンドル・シャルル・ルコック による
《運命の力》のポスター

ジュゼッペ・ヴェルディ(Giuseppe Verdi, 1813-1891)作曲のオペラ《運命の力 LA FORZA DEL DESTINO》は、18世紀中頃のスペインが舞台。このアリアはセビリャのカラトラーヴァ侯爵(Bs)の娘レオノーラ(S)によって歌われる。

彼女は父親に結婚を反対されて、恋人でインカ帝国の血を引くアルヴァーロ(T)と駆け落ちしようとする。ところがそれが父に見つかり、アルヴァーロが差し出したピストルが暴発して不本意にも父を殺してしまう。そこからふたりの〈運命〉が狂いだす。父の復讐に燃えるレオノーラの兄カルロ(Br)が、逃げるふたりを執拗に追い続ける。

このアリア「神よ、平和を与えたまえ」が歌われるのは、オペラの終幕。男装して修道院の岩山の洞窟で修行僧として過ごし死を願うレオノーラが、逃げ惑う中ではぐれてしまったアルヴァーロを思いながら、自らの運命を嘆く。

このあと偶然彼女が籠る洞窟がある修道院で修道士になっていたアルヴァーロ(これも〈運命〉)と、彼を執念で見つけ出したカルロが決闘になり、カルロが瀕死の重傷を負う。助けを求める声に洞窟から出たレオノーラが、彼らと再会する。カルロが死の間際に妹を刺殺して父の復讐を果たし、アルヴァーロがこの過酷な〈運命〉を呪う。それをグアルディアーノ神父(Bs)が諫めるところで、この物語は終わる。筋書きに相当な強引さはあるものの、これが〈運命〉というものの力だ、というわけである。ちなみに初演版では、アルヴァーロも断崖から身を投げて死ぬことになっていた。(修道士が自殺するというのは赦されない行為であり、それが 検閲にかかって 結末が書き換えられた。)

ホセ・マルドーネス(グアルディアーノ神父)、 エンリコ・カルーソー(アルヴァーロ) 、 ローザ・ポンセル (レオノーラ)

「序曲」は、オーケストラのコンサートで単独で採り上げられることも多い。そこには、アルヴァーロのアリア「天使の胸に抱かれている君よ」、レオノーラの第2幕のアリア「慈悲深いマリア様!」、レオノーラとグアルディアーノ神父との壮大な二重唱など、このオペラの聴きどころであるメロディが網羅されている。

これだけ聴きごたえのある曲が数多くあるオペラなのに上演される機会が少ないのは、この物語の救いようのない暗さに加え、なにより主要なキャストに重さと強さを持つ立派な声の歌手をずらりと揃えなければならないことが理由にある。レオノーラにもこのアリアの他に大きなアリアがふたつあり、それらのアリアの方がこのアリアよりもずっと歌うのも表現するのも難しいが、有名なのは、最も短いこの最後のアリアである。実は、オクターヴの跳躍が繰り返されるこの最後のアリアだけを歌うことはさほど難しくなく、いろいろな声のソプラノがコンサートで歌う。だが、この役を本当に歌い通せるような声のソプラノは、世界中を見回しても極めて少ない。役に適さない軽い声のソプラノがこの役を歌い通そうとすれば、声を壊すこと間違いなし。ヴェルディの作品は「役が声を選ぶ」と言われるが、それは聴く側だけではなく、歌う側にとっても真実なのである。

ジュゼッペ・ヴェルディ

Pace, pace, pace, mio Dio, pace, mio Dio!

平穏を、神様!平穏をお与えください!

Cruda sventura m’astringe, ahimè, a languir;
come il dì primo da tant’anni dura
profondo il mio soffrir.

過酷な不幸が私を締め付け、ああ、私を弱らせる
長年続く深い苦しみが、あの日と同じように私を苦しめる

Pace, pace mio Dio!

平穏をお与えください、神様!

L’amai, gli è ver!
Ma di beltà e valore cotanto Iddio l’orno,
che l’amo ancor, né togliermi dal core l’immagin sua saprò.

彼を愛したこと、それは本当です!
でも彼の美しさや多いなる勇敢さは、神が彼に与えたもの
私は今も彼を愛しています、彼の面影を心から消すことなどできません

Fatalità! fatalità!

避けることのできない宿命なのです!宿命!

Un delitto dìsgiunti n’ha quaggiù!
Alvaro, io t’amo,
e su nel cielo è scritto!
non ti vedrò mai più!

ひとつの過ちが、この世で私たちを引き裂いたのです!
アルヴァーロ、あなたを愛しています。
そして天には、こう書かれているのです!
二度とあなたに会うことは叶わない、と!

Oh, Dio, Dio, fa ch’io muoia;
chè la calma può darmi morte sol.
Invan la pace qui sperò quest’alma
In preda a tanto, a tanto duol,
in mezzo a tanto, a tanto duol.
Invan la pace quest’alma, invan sperò!

ああ、神よ、神よ、どうか死なせてください
死だけが、私に安らぎを与えるのです
この魂に平穏を願うのは無駄なことなのです
大きな苦しみに苛まれた
苦しみの中に埋もれたこの魂に
平穏を願うのは、望むだけ無為なことなのです!
(洞穴の入り口に置かれたパンを見つけて)

Misero pane a prolungarmi vieni la sconsolata vita.

哀れなパンはこの何の慰めもない私の命をながらえるためにあるのね

Ma chi giunge?
Chi profanare ardisce il sacro loco?
Maledizione!

誰かがやってくる?
この神聖なる場所を冒涜しようとする恥知らずがいるのか?
呪われよ!

               (文・抄訳:河野典子)

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Filed under: オペラの世界 — イタリア文化会館東京 14:04

ちょっぴりイタリア・オペラ〜有名なアリアの内容を知ろう プッチーニ作曲 オペラ《トゥーランドット》

トゥーランドットのポスター(1926年)

第3幕でカラフが歌う「誰も寝てはならぬ」
Puccini TURANDOT atto terzo “Nessun dorma” (Calaf)

フィギュアスケートの荒川静香さんが競技で使用したり、トリノ・オリンピックの開会式で、故ルチアーノ・パヴァロッティも歌ったこのアリアは、その後もテレビCMなどでも度々使用されて、オペラファンならずとも、よく知られたメロディとなりました。

ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini:1858-1924)の最後のオペラとなったこの作品は、架空の時代の北京を舞台にしています。絶世の美人で、氷のような残酷な姫とも称されるトゥーランドット姫は、彼女に求婚する外国の王子たちに「3つの謎」を出します。その「3つの謎」が解ければ、求婚者は彼女を娶ることができるますが、解けなければ求婚者は首を撥ねられることを条件にしており、すでに何人もの王子がその命を落としています。

ジャコモ・プッチーニ

国を追われたダッタン前王ティムールの息子カラフも、トゥーランドット姫の美しさに魅せられて名乗りをあげ、このオペラの第2幕で見事に「3つの謎」を解きます。その思わぬ結果を嘆く姫に対してカラフは「あなたが明日の夜明けまでに私の名を知ることができたら、私は喜んで死のう」と言います。その言葉にトゥーランドット姫は、「あの見知らぬ王子の名前が分かるまで、今夜北京の民は誰も寝てはならぬ」と命令します。

第3幕の冒頭、舞台は宮殿の庭。遠くで役人たちが「誰も寝てはならぬ!Nessun dorma!」と声を上げているのがカラフの耳に届きます。そのフレーズを受けて歌われるのがこのアリアで、彼は自分の勝利を確信しています。

ところでプッチーニは、この第3幕途中、カラフの名前を知るティムールに付き添ってきた奴隷リュウが、拷問によって自分がカラフの名前を口にすることを恐れて自害するところまでを作曲して、癌の手術後の心臓発作で亡くなっています。

一般的にはフランコ・アルファーノ(Franco Alfano, 1875-1954)のもの(公演では、主にその短縮版)が演奏されますが、その他にもルチアーノ・ベリオ(Luciano Berio, 1925-2003)ほか複数の作曲家が、プッチーニが作曲し残した部分を作曲して、オペラを完結させています。

この作品の初演初日(1926年4月25日:ミラノ・スカラ座)、プッチーニの友人でもあった指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(Arturo Toscanini, 1867-1957)は、リュウの死まで演奏して「ここでプッチーニは亡くなりました」と言って指揮棒を置きました。

アルトゥーロ・トスカニーニ

Nessun dorma! Nessun dorma!
Tu pure, o Principessa, nella tua fredda stanza
guardi le stelle che tremano d’amore e di speranza!

誰も寝てはならぬ! 誰も寝てはならぬ!
皇女様あなたとて、あなたの冷え切った部屋の中で
愛と希望に瞬く星を見上げているのであろう

Ma il mio mistero è chiuso in me,
il nome mio nessun saprà!
No, sulla tua bocca lo dirò,
quando la luce splenderà!

しかし、私の秘密は私の中だけにあり、
私の名は誰にも知り得まい!
いや、あなたの唇にそれを私が告げよう
夜明けの光が輝くときに!

Ed il mio bacio scioglierà
il silenzio che ti fa mia!

私の口づけが沈黙を解き放つだろう、
あなたを私のものにする沈黙を!

Dilegua, o notte!
Tramontate, stelle!
All’alba vincerò!
Vincerò!

消えるのだ、おお夜よ! 
地平に沈むのだ、星たちよ!
暁に、私は勝利するだろう!
勝利するだろう!

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Filed under: オペラの世界 — イタリア文化会館東京 14:41

オペラの世界12 「息を支える」L’appoggioとはなにか

Buongiorno a tutti!

音楽評論家河野典子さんによるオペラブログ、好評につき追加の第12弾をお届けします!
Buona lettura a tutti!

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音にすることよりも息が先行する

オペラ歌手だけではなく、イタリア語を学ぶ日本人の方々にも共通することですが、日本語とイタリア語を発音する上でのもっとも大きな違いは、イタリア語では言葉を喋るときに「まず息が先行する」ということです。
これをオペラを学ぶ学生に言うと、発音し始める前に息漏れをさせるのが息が先行するものだと勘違いすることがよくあるのですが、そうではありません。
日本語というのは、喉だけで喋ることができる言語です。ですから声を使う職業の方以外は、普段日本語を喋るのに身体を使うという意識を持っている人は少ないでしょう。
喋り始める直前にまず腹筋、横隔膜を使って、肺に満ちている空気を息として送り出すことを意識的にやってみると、下から送られた声によって声帯が鳴って声が出るということが実感できます。言葉を先に言おうとして上から抑え込んで発音するのではなく、息が自由に進みたい方向に行かせてやる。頭の中に言うべき母音あるいは子音+母音を思い浮かべておくだけで、あとは息に任せてやるのです。それでも言葉は発音できるのです。

イタリア人は横隔膜から声を出す

イタリア人がイタリア語を喋るときは、概ねこの状態ですので、お腹(横隔膜)がよく動きます。もし身近にイタリア人のイタリア語の先生がいらしたら、是非彼らが喋るときに、お腹のあたりを触らせてもらってください。横隔膜周辺がしっかり上下して動いています。その上で自分が日本語を喋るときにご自分のお腹を触ってみてください。たぶんほとんど動いていないはずです。イタリア語という言語がいかに深い息で身体を使って話す言語であるかということがおわかりいただけるかと思います。
その基本的な違いが理解されないまま、日本人がオペラを歌おうとすると、まず母音が飛んで行きません。母音が飛んでいかなければ、劇場に声が響き渡ることもありません。それゆえに日本人の歌手にありがちなのは、遠くに声を届かせようとするがばかりに、いわゆる「声を押す」、力で押し出す方式をとってしまうことです。これは喉に負担がかかるばかりか、歌っている歌詞も平板になり、いわゆる仮名書きのイタリア語になります。イタリア語のイントネーション、アクセントは声帯を強く合わせることではなく、息によってコントロールされるものなので、強く言うことではその役目を果たすことができません。息が走らなければ歌うイタリア語はイタリア語になり得ないのです。(もちろん対訳を楽譜に書き写して、それを見ながら、なんとなく意味がわかっているつもりで歌っている歌手は論外です。)
イタリアに行ってイタリア人でいっぱいのピッツェリアにでも入って食事をすると、周囲のテーブルのイタリア人たちのお喋りのその賑やかさといったら!彼らの声でレストラン中が満たされて、ワンワン響いています。でも大きな声でしゃべり続けて、声が枯れたイタリア人っていないと思いませんか?日本人がそれをやるとてきめん翌日はガラガラ声です。そこがお腹から喋っているか、喉で喋っているかの違いなのです。

L’appoggioとは上半身に力が入ることではない

「お腹を使う」、「息を支える」ということを声楽のレッスンではよく耳にします。「息を支える」というのも実に抽象的な言い方ですが、要は身体全体を使って呼吸のコントロールをキープすることを意味します。そしてそれはイタリア人の歌手であっても、そのやり方は千差万別。お腹を引っこめろという人、逆にお腹をパンパンに張り出せ、という人、柔らかくしろ、固くしろ・・・などなど。こればかりは個体差がありすぎて一概にどれが正しいと言うことはできません。力が入れば、肩や背中に力が入ってガチガチになり上半身が固まってしまい、肺呼吸の許容量を小さくしてしまいます。それは息を支えているとは呼べません。体が硬直していれば声も硬くなります。必要なのは、歌い始めで喉からスタートするのではなく、横隔膜が何十分の1秒声を出すことより早く反応して、息を送り出していること。その息で喋り(歌い)始めることなのです。その先に喉を下げることや、口の開け方といったことが続いていくのです。腹筋や背筋は息の出る量をコントロールするために作用します。
まず日本人の声楽を勉強する人や教える側が意識した方がいいのは、私たちは母語の関係で、放っておくとどんどん息が浅くなり、胸で歌いやすくなるということです。あくまで腹式呼吸で、息を自由に遠くに行かせて、たっぷりと歌えるのか。その息の支え方L’appoggioは、歌手それぞれが自分に合った方法を見出すしかありません。声楽の先生自身が実践してうまくいっている方法がお弟子さんにもうまく合致すればいいのですが、必ずしもそうではないので、歌手はそれぞれがいろいろな歌手の呼吸法を調べたり、また自分で創意工夫しながら、自分にとって肩や上半身に力が入らずに、息を支える方法はどういうものかを自分で見出す必要があるのです。

 

〈河野典子プロフィール〉
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982〜89年在伊。帰国後音楽評論家としてイタリア・オペラを主とした公演批評、来日アーティストのインタヴューなどを「音楽の友」「GRAND OPERA」などの各誌に執筆するほか、来日アーティストのプログラム執筆やCDライナー・ノーツの翻訳、NHK BS〈クラシック倶楽部〉の歌詞字幕などを担当。平成30年度(2018)文化庁芸術祭賞審査委員。

2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。若手の育成や録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に『オペラ・ハイライト25』(学研)。2017年3月、イタリア・オペラ58作品の「あらすじ」や「聴きどころ」を詳説した『イタリア・オペラ・ガイド』(発行フリースペース、発売星雲社, 2017)を出版。またNHKFM「オペラ・ファンタスティカ」でも案内役を務めている。

〈過去のブログ〉

オペラの世界11~「なぜ《ラ・トラヴィアータ》は世界中で愛されるのか」(3)
オペラの世界10~「なぜ《ラ・トラヴィアータ》は世界中で愛されるのか」(2)
オペラの世界9~「なぜ《ラ・トラヴィアータ》は世界中で愛されるのか」(1)
オペラの世界8~どうすればオペラ歌手になれるのか
オペラの世界7~インタヴューで垣間見たアーティストの素顔(2) バルバラ・フリットリ
オペラの世界6~インタヴューで垣間見たアーティストの素顔(1)
オペラの世界5~「ベルカント」とは何でしょうか≪2≫~
オペラの世界4~「ベルカント」とは何でしょうか~
オペラの世界3~マエストロ ファビオ・ルイージ~
オペラの世界2~演奏家インタヴューの通訳~
オペラの世界1~アッバードとの稽古は「芸術を創り上げる喜びの時」でした~

イタリア文化会館
イタリア留学

 

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Filed under: オペラの世界 — イタリア文化会館東京 14:54

オペラの世界11「なぜ《ラ・トラヴィアータ》は世界中で愛されるのか」(3)

Buongiorno a tutti!

好評連載中のオペラブログ、今回は第11弾をお届けします。
前回に引き続き、講演会の内容をお伝えします。今回は最終回《演出編》です。
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最終回《演出編》
演出家を刺激する演技力、表現力豊かなソプラノたち

このオペラには、ヒロインであるヴィオレッタが、パリの豪奢な館のセットの中で美しい衣裳を身にまとっているものが長く親しまれてきましたし、現在でもそういったものが多く作られています。しかし近年では、より「リアルな女性像」に焦点を合わせた《ラ・トラヴィアータ》もまた数多く生まれています。

フランスの演出家、ジャン=フランソワ・シヴァディエが、2011年のエクス・アン・プロヴァンス音楽祭で作った舞台は、ナタリー・デセイのために、いわば当て書きで作られたものです。(この舞台は映像化されて販売されていますし、「椿姫ができるまで」というドキュメンタリー映画にもなっています。)
2004年に、ヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場が火災焼失からの再建を祝ったシーズン初演目、こけら落とし公演におけるカナダの演出家ロバート・カーセンが作り上げた舞台もまた、パトリツィア・チョーフィありき、の舞台でした。(こちらも映像化されています。)
演技力に卓越しているプリマドンナは、演出家のアイデアをおおいに刺激するのでしょう。
たしかにこのふたりの舞台はどちらも、彼女たちのきめ細かな演技と繊細な感情表現による歌唱によって成立していました。しかしそれは同時に、こうした特定の歌手のための当て書きで作られた舞台が、キャストが変わった時に最初と同じ効果を生み出すかというと、なかなかそうはいきません。実際にカールセンの舞台もその後ヴェネツィアで何度か再演されていますし、シヴァディエの舞台もウィーン国立歌劇場などでも掛かっています。しかし、残念ながら初演のインパクトを超える公演はまだ生まれていません。デセイやチョーフィのケースのように、出演者の演技力に大きく頼る演出は、そうそう生き残れません。それは同時に、俳優としても通用するほどの演技力のあるオペラ歌手が、そう簡単には存在しないということの証左でもあるのです。
それと比較して2005年にザルツブルクで初演された、大きな時計を舞台に据えたウィリー・デッカーの舞台は世界中で再演されていますが、ヒロインによって、それぞれの持ち味を生かす舞台となっています。長く生き残る演出は、(言い方は悪いですが)誰がやっても一定の効果を生み出す、懐の広い演出と言えるかもしれません。


Natalie Dessay
ちなみに前述のデセイとチョーフィは、レッジェーロに近いリリコ・レッジェーロの声。ふたりともこの役の第2幕、第3幕では苦労しています。チョーフィが2006年この演出のヴィオレッタでフェニーチェ歌劇場の来日公演を行った時に彼女にインタヴューしたことがあります。そのときに彼女はまだ私が何も言っていないうちから開口一番こう言いました。「私の声がヴィオレッタに適していないのはわかっています」。
このふたりに共通するのは、それらしい声を中音域で作って出すという愚かなことをしない頭の良さと、演技と言葉のあしらいで声が足りない部分を補い切るだけの表現のテクニックを持ち合わせていることです。軽い声のソプラノが作り声で中音部を作って歌えば、そのときは良くても声帯を痛める危険性が大きくなり、その歌手人生自体を危うくします。実際にそうしてわずか数年のキャリアで潰れていったソプラノは多くいます。ヴィオレッタという役には、そうした難しさがあり、オペラ歌手が役を選ぶ難しさでもあるのです。
(講演ならびに再構成:河野典子)

〈河野典子プロフィール〉
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982〜89年在伊。帰国後音楽評論家としてイタリア・オペラを主とした公演批評、来日アーティストのインタヴューなどを「音楽の友」「GRAND OPERA」などの各誌に執筆するほか、来日アーティストのプログラム執筆やCDライナー・ノーツの翻訳、NHK BS〈クラシック倶楽部〉の歌詞字幕などを担当。平成30年度(2018)文化庁芸術祭賞審査委員。

2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。若手の育成や録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に『オペラ・ハイライト25』(学研)。2017年3月、イタリア・オペラ58作品の「あらすじ」や「聴きどころ」を詳説した『イタリア・オペラ・ガイド』(発行フリースペース、発売星雲社, 2017)を出版。またNHKFM「オペラ・ファンタスティカ」でも案内役を務めている。

〈過去のブログ〉
オペラの世界10~「なぜ《ラ・トラヴィアータ》は世界中で愛されるのか」(2)
オペラの世界9~「なぜ《ラ・トラヴィアータ》は世界中で愛されるのか」(1)
オペラの世界8~どうすればオペラ歌手になれるのか
オペラの世界7~インタヴューで垣間見たアーティストの素顔(2) バルバラ・フリットリ
オペラの世界6~インタヴューで垣間見たアーティストの素顔(1)
オペラの世界5~「ベルカント」とは何でしょうか≪2≫~
オペラの世界4~「ベルカント」とは何でしょうか~
オペラの世界3~マエストロ ファビオ・ルイージ~
オペラの世界2~演奏家インタヴューの通訳~
オペラの世界1~アッバードとの稽古は「芸術を創り上げる喜びの時」でした~

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Filed under: オペラの世界 — イタリア文化会館東京 17:23
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