オペラの世界10 「なぜ《ラ・トラヴィアータ》は世界中で愛されるのか」(2)

Buongiorno a tutti!

今日は好評連載中のオペラブログ第10弾をお送りします。
日本ヴェルディ協会主催の「名作シリーズ」講演会の第1回として、2017年2月17日、文京シビックスカイホールで講演会を行い、ヴィオレッタとジェルモンに焦点を当ててお話をしました。講演会では実際の映像を多く使い、それぞれの違いを観て、聴いていただきましたが、講演会の内容を《ヴィオレッタ編》と《ジェルモン編》、そして《演出編》に再構成してお送りします。今日はジェルモンに関するお話です。
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《ジェルモン編》
この作品で最も大事なシーンはヴィオレッタとジェルモンの二重唱

アルフレードの父ジェルモンとヴィオレッタの第2幕の二重唱は、この幕の前半のほとんどを占める長いシーンです。アルフレードは小説では24歳で、戯曲でも20歳そこそこ、という設定です。息子と高級娼婦とを別れされるために現れた父親が、ヴィオレッタの弱点をうまく突きながら、ときには彼女の身の上に理解し同情を示すふりをしながら、上手にアルフレードとの別れを約束させます。ここが、この《ラ・トラヴィアータ》というオペラの中心部分でもあります。心理描写と会話だけで、特に事件が起こるわけでもないこのシーンのために、ヴェルディはこれだけの長い二重唱を書いているのです。ここはデュマ・フィス自身が書いた戯曲でも、多くのページを割いて描かれている核心部分なのです。

このふたりの心理的な駆け引きを歌で表現することは、簡単ではありません。つまり、ここが十全に表現できるかどうかが、そのソプラノがこの役に適しているか否かの試金石となりますし、ジェルモンも同様で、「どうだ、いい声だろう!?」といわんばかりに大声を張り上げるようなバリトンが歌っては、このオペラは台無しにされてしまいます。
ヴェルディは、初演版(1853年)の翌年、特にこの二重唱に相当手を入れて、それまでのいわば「芝居掛かった感情表現」を、「会話としてより自然なもの」になるように書き換えています。その結果、ジェルモンとヴィオレッタは、より自然な話し声の音域に終始することになりました。その分、言葉の言い方や声の色合い、演技などで、初演版よりも繊細に感情表現することが求められるようになったのです。

ヴェルディ・バリトン

ヴェルディの諸役は、どんな声種の役であれ「高音が決まってこそ」という作りをしています。これはイタリア・オペラに共通した性格でもあります。
ジェルモンには、有名なアリア「プロヴァンスの海と大地」があります。ちなみにこの、父が息子に故郷を思い出させようとするアリアとなっている(ヴィオレッタと対峙したときとは別人のような息子に甘い、親バカぶりが発揮される)部分は、戯曲には存在しませんし、小説でもこのように哀願するように息子を説得することはしません。ピアーヴェの台本による創作部分です。戯曲では、「自分を失ってショックを受けるであろうアルマン(=アルフレード)をどうか優しく慰めてあげてください」とマルグリット(=ヴィオレッタ)が言っています。ピアーヴェはそこを膨らませてバリトンの聴かせどころであるこのアリアを作った、といったところでしょうか。

ヴェルディ・バリトンは、バス・バリトンでは務まりません。テノールに近い「輝かしい声」で、かつ「音色に深み」もあり、「柔らかな声」であることが求められます。その上イタリア的な、走る伸びのある高音が決まらないことには務まりません。このような条件を満たすバリトンを指して、“ヴェルディ・バリトン”という特別な言い方が存在するのです。
では、高い声が決まればいいのだから、テノールが歌ったらさぞ楽だろうと思えば、さにあらず。テノールの声のままでバリトンの役も歌えるドミンゴも、近年この役を歌っていますが、バリトン役の高音は、テノールの声帯にとっては、通過音に過ぎません。言い換えれば、テノールにとって、大変中途半端なところで、その曲の最高音を決めなければいけない、ということが生じているので、彼としてもけっして楽に歌っているのではなさそうです。

ヴェルディの音楽では、長いフレーズ作りが求められます。たとえばこのアリアであれば、2小節ずつではなく、4小節ずつが表現における1つのグループとなり、息の流れの緊張感に至っては、曲の最初から最後まで一本のラインで繋がっていることが求められます。それがヴェルディらしい歌唱を生むとも言えます。しかし、以前インタヴューで名バリトンのレナート・ブルゾンさんに「最近、ヴェルディの歌唱スタイルが崩れてきていると思われませんか」と質問した時に、彼はこう答えました。「お前なぁ、我々がヴェルディのスタイルだと思っているものは、これまでの年月で積み重ねられた慣習でしかないんだよ。ヴェルディが生きていた時に生きていた人間は現存しないのだし、ヴェルディが自分のオペラを指揮した時の録音もない。ヴェルディらしさ、とは我々の想像でしかないのだよ。本当の正解は、誰にも知りようがないんだ」。確かにその通りです。ですが、聴いている側がツボにはまる歌い回しというもの、涙を誘うように心を鷲掴みするような歌唱が存在するのもまた事実で、そこに共通するスタイル感というものは、やはり存在しているのです。
  (講演・再構成:河野典子)


Renato Bruson

〈河野典子プロフィール〉
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982〜89年在伊。帰国後音楽評論家としてイタリア・オペラを主とした公演批評、来日アーティストのインタヴューなどを「音楽の友」「GRAND OPERA」などの各誌に執筆するほか、来日アーティストのプログラム執筆やCDライナー・ノーツの翻訳、NHK BS〈クラシック倶楽部〉の歌詞字幕などを担当。

2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。若手の育成や録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に『オペラ・ハイライト25』(学研)。2017年3月、イタリア・オペラ58作品の「あらすじ」や「聴きどころ」を詳説した『イタリア・オペラ・ガイド』(発行フリースペース、発売星雲社, 2017)を出版。またNHKFM「オペラ・ファンタスティカ」でも案内役を務めている。

 
〈過去のブログ〉
オペラの世界9~「なぜ《ラ・トラヴィアータ》は世界中で愛されるのか」(1)
オペラの世界8~どうすればオペラ歌手になれるのか
オペラの世界7~インタヴューで垣間見たアーティストの素顔(2) バルバラ・フリットリ
オペラの世界6~インタヴューで垣間見たアーティストの素顔(1)
オペラの世界5~「ベルカント」とは何でしょうか≪2≫~
オペラの世界4~「ベルカント」とは何でしょうか~
オペラの世界3~マエストロ ファビオ・ルイージ~
オペラの世界2~演奏家インタヴューの通訳~
オペラの世界1~アッバードとの稽古は「芸術を創り上げる喜びの時」でした~

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Filed under: オペラの世界 — イタリア文化会館東京 17:30

オペラの世界9 「なぜ《ラ・トラヴィアータ》は世界中で愛されるのか」(1)

Buongiorno a tutti!

今日は好評連載中のオペラブログ第9弾をお送りします。
日本ヴェルディ協会主催の「名作シリーズ」講演会の第1回として、2017年2月17日、文京シビックスカイホールで講演会を行い、ヴィオレッタとジェルモンに焦点を当ててお話をしました。講演会では実際の映像を多く使い、それぞれの違いを観て、聴いていただきましたが、今回から3回にわけて、講演会の内容を《ヴィオレッタ編》と《ジェルモン編》、そして《演出編》に再構成してお送りします。今日はヒロイン、ヴィオレッタに関するお話です。
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《ヴィオレッタ編》
「歌う」ヴィオレッタと「演じる」ヴィオレッタ

第1幕におけるこのオペラで最も有名なアリアのひとつ、日本では『ああ、そはかの人か』という題名で親しまれてきたアリアでは、以前は舞台(や録音)でカットされてきた2番の歌詞で、ヴィオレッタの幼い頃からの「純愛への憧れ」が語られています。これが彼女がアルフレードとの純愛に大きく傾いていく布石となっています。
ヴィオレッタのモデルとなったマリー・デュプレシ(本名アルフォンシーヌ・プレシ)は、14歳でアル中の父親に体を売って稼いでくることを強制され、15歳には男の囲われ者になっていたと言われています。彼女は「そんな自分に相思相愛の男性が現れて、幸せになる夢が実現することはない」と、人生を諦めていたのです。

1980年代に私がミラノに留学していた頃には、このアリアについては「2番は歌われることはないから勉強しなくていい」とまで言われていました。これはイタリア人にとってのオペラというものが、少なくとも当時は、芝居としての完成度よりも声が優先されていたことを意味します。このあと「そんなバカなことを!」と我に返って自虐的に「私は楽しんで生きるのよ」と語るのが、これに続く華やかなカバレッタ『花から花へ』の部分になりますが、そこに歌手が余力を残しておく必要がありますし、同じメロディを2回繰り返して聴かせれることがイタリア人にとっては退屈であるのかもしれません。

 
カバレッタ「花から花へ」の最後の最高音「ミ♭」は、単なるおまけ
このヴィオレッタという役は、もとよりリリコのソプラノ(とても高い音を出したり、華やかなアジリタをコロコロと転がすことよりも、ト音記号の五線譜の中に収まる音域の音色が豊かな歌手)のために書かれています。ところが1950年代を中心に(実はオペラの舞台で本当に活躍したのは数年でしかない)天才マリア・カラスが、彼女独特の暗めの強い音色でこの役を見事に歌い演じ、かつ基本的には舞台でも最高音の「ミ♭」を決めていたことで、その後のーー特にスカラ座でのーーヴィオレッタ役のソプラノへの評価をとても厳しいものにしてきました。

イタリア人は、高音(ソプラノで言えば「シ」から「ド」のアクート、その上のソープラ・アクート)に対して、出るだけではなく、劇場を走るようなスピード感のある声を求めます。(アクートというイタリア語には「鋭い」とか「尖った」という意味があります。)長年、イタリアでこの役で成功するためには、この「ミ♭」が決まることが最優先されてきた感があり、普段であればルチーアなどを歌うリリコ・レッジェーロが、ヴィオレッタを数多く手掛けてきました。ところが、このオペラの第2幕以降は会話がほとんどで、高い音はあまりありません。その上第3幕でヴィオレッタは、死を前に弱っていくのですから華やかな技術を披露するシーンもありません。そのため第1幕のアリアが華やかに歌える歌手には、第2幕以降が難しい。しかし第2幕以降の心理表現に長けた歌手は、このカバレッタの最高音の存在ゆえに、この役を手がけることを躊躇してきました。
しかし近年、「楽譜どおりに演奏する」という考え方が主流となったことで、イタリアにおける、この最高音への「こだわり」もだんだん薄らいできました。実際に2017年ブッセートでのヴェルディ・フェスティヴァルでは、最後が楽譜どおり(1オクターヴ下の「シ♭」)で歌われています。

 
第3幕ではじめて出てくるLa Traviataという言葉
ちなみに第3幕は、ピアーヴェとヴェルディが、ヴェネツィアでの初演ということを意識したのか、あるいはモデルであるデュプレシの亡くなった2月初旬を意識してか、カーニヴァルの時期となっています。(デュマ・フィスが書いた戯曲での設定は、1月1日。)

第3幕でのヴィオレッタが、アルフレードが自分が生きている間に戻ってくることを待ち望むアリア『さようなら過ぎ去った日々よ』も以前は1番しか歌われませんでしたが、近年は2番まで歌われるケースが多くなってきました。ここの歌詞にもヴィオレッタの現実を見据えた深い絶望が描かれています。


La traviata spartito

 
喜びも苦しみももうすぐ終わりを迎えます。
お墓は生きとし生けるものすべての最後の場所。
涙も花も私のお墓に供えられることはないでしょう。
私のこの骨ばかりになった亡骸を覆うための
私の名を彫った十字架が立てられることすらないのね。
ああ、どうか「道を踏み外した女la traviata」の願いに微笑みを。
彼女をお赦しください、彼女をどうか受け入れてください、神様。
ああ、すべて終わってしまったのだわ。
(拙訳)

 
彼女のまるで辞世の句のようなこのアリアにだけ「ラ・トラヴィアータ」という単語が使われているのは、象徴的です。この単語を発するのが、ヴィオレッタ自身であること、オペラの大詰めで初めて語られることから、このアリアのこの作品全体における重要性、そしてこのオペラが、このひとりの薄幸の女性の生き様を描いた、ヴェルディには数少ないプリマドンナ・オペラであることの証左でもあるのです。
(講演・再構成:河野典子)

〈河野典子プロフィール〉
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982〜89年在伊。帰国後音楽評論家としてイタリア・オペラを主とした公演批評、来日アーティストのインタヴューなどを「音楽の友」「GRAND OPERA」などの各誌に執筆するほか、来日アーティストのプログラム執筆やCDライナー・ノーツの翻訳、NHK BS〈クラシック倶楽部〉の歌詞字幕などを担当。

2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。若手の育成や録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に『オペラ・ハイライト25』(学研)。2017年3月、イタリア・オペラ58作品の「あらすじ」や「聴きどころ」を詳説した『イタリア・オペラ・ガイド』(発行フリースペース、発売星雲社, 2017)を出版。またNHKFM「オペラ・ファンタスティカ」でも案内役を務めている。

 
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オペラの世界8~どうすればオペラ歌手になれるのか
オペラの世界7~インタヴューで垣間見たアーティストの素顔(2) バルバラ・フリットリ
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オペラの世界8「どうすればオペラ歌手になれるのか」

Buongiorno a tutti!

今日は好評連載中のオペラブログ第8弾をお送りします。
Buona lettura!
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プロのオペラ歌手とは
オペラ歌手の第一線での活動期間というのは、他の楽器や指揮者と比べ、けっして長いとは言えません。それは声という楽器が体の中にある宿命なのです。
まず、本格的な声楽の訓練が始められるのは、変声期が完全に終わってからになります。女声は出産を経て、声域や声質に変化を起こすことがありますし、その後いわゆる更年期と呼ばれる年代に差し掛かると、男女とも声帯にそれまであった柔軟性がなくなるなどの変化が起き始めますので、若い時とは異なる声の使い方やレパートリー選択を工夫する必要に迫られます。声は、年齢とともに重くなる傾向にあるものの、だからといって行き過ぎた、ドラマティックすぎるレパートリー選択をすれば、声を潰すことに直結することにもなりかねません。この年代は人間的な成熟にともない豊かな表現ができるようになる頃でもあるので、歌手にはこの身体の変わり目を是非上手に越してほしいものです。

ただし、それができるのは、しっかりとした歌唱テクニックで、そこに至るまでも自分にあったレパートリー選択をしてきた歌手たち。今で言えば、70歳を過ぎても歌えるマリエッラ・デヴィーア、レオ・ヌッチ、バリトンの主役まで歌いこなすプラシド・ドミンゴなどが挙げられます。しかし現在は世界的に、まともなテクニックを身につけていない歌手の比率が高く、そんな年代まで声が持たないし、元よりそんなに長く歌っていく気もない、という歌手が増えています。円熟した大人の表現の出来る歌手が少なくなっていることは、オペラファンにとって寂しい限りです。

日本と欧米の声楽教育の違い
ヨーロッパの多くの国には、コンセルヴァトワール、コンセルヴァトーリオと呼ばれる音楽の専門学校があり、そこには幼い年齢から学校と並行して通うことができます。将来声楽家を目指すとしても彼らはまずそこで他の楽器を学びながら、音楽的な表現力や基礎的な素養を身につけていきます。(そうした環境により、ヨーロッパの歌手には、歌手の勉強と同時に大学で文学部や法学部あるいは理系の学部を卒業して、学位を持つ歌手が数多く存在するのです。)

そこからコンクールに優勝する、オーディションに合格するなどして、晴れてプロのオペラ歌手としての活動を始めます。欧米の歌手のデビューは、男女とも高声ほど20代前半が主流。欧米における歌手マーケットが、スカウトするのは(バスなどの成長に時間のかかる一部の声種以外は)その世代が中心で、コンクールなども30歳ぐらいまでが対象になります。大学院まで声楽を学んだ日本の歌手は、その時点で遅いスタートというハンディを背負っていることになります。
では、その中で頭角を現していくには何が必要なのでしょう。

日本人ならではの音楽性とソルフェージュ力
歌手の歌唱レヴェルがヨーロッパ出身の歌手と同程度ならば、残念ながら歌劇場は、ヨーロッパ出身の歌手を採用します。オペラの舞台では、東洋人の顔が入る違和感が否めないからです。こればかりは、異国の文化であるオペラをやる以上仕方がありません。

では、その中でも採用されるためには何が必要か。声の馬力では、残念ながら勝てません。逆にソルフェージュがきちんと出来て、読譜も簡単ではない新作オペラにも取り組める。しなやかで繊細な音楽性がある。日本人に多いレッジェーロ系の声で超高音がいつでも安定して歌えるetc. が、我々の「メリット」になります。言い換えれば、誰でも歌えるレパートリーだけでは、なかなか門戸はこじ開けられません。特に最近のように柔らかな声より、東欧の強い声が主流になっている時代ではなおさらです。かと言って、東欧圏の歌手の真似をしたところで、ほんの数年で声を失くすのがいいところです。

日本の声楽教育の弱点と現状
日本で大学院まで出ても、歌手にレパートリーがほとんど出来ていない、というのは、プロ歌手を目指す上で、海外の若手と同じまな板の上に乗ることさえできないことを意味します。いくらアリアが上手に歌えても、海外の劇場のオーディションでは「では、その前のレチタティーヴォからやってみて」とか「別の◯幕のシーンはできますか」と聞かれます。その時に「勉強したこともありません」「私はアリアしか歌えません」と言ったら、鼻で笑われて門前払いです。

若手も含めた海外の歌手のホームページをご覧いただくと、そこには必ず〈レパートリー〉のページがあります。そこに書かれているレパートリーとは、「この役だったら私はすぐにでも舞台で歌えます。だから仕事のチャンスがあれば私に連絡をください」というアピールなのです。残念なことに日本の大学院を修了した若手にレパートリーを尋ねて、いくつものタイトルを並べてきた場合、念のために「それは全曲歌えるのね?」と確かめると「いえ、アリアだけです」と平気な顔で答える人たちがまだ大勢いるのが実情です。 

中国、台湾、韓国などの声楽教育はついこの間までずっと日本より遅れていました。ところが私たちがそこにあぐらをかいているうちに、彼らは欧米の歌劇場のニーズを研究し、かつ国内の教育でそれなりにレパートリーを持たせた上で海外のオーディションに送り出すようになりました。
日本では留学=勉強ですが、彼らは欧米でブラッシュアップをしつつ、プロとして仕事をするために出て行きます。そして欧米の現場を踏んだ歌手たちが母国に戻って、そのノウハウを後進の学生に伝えているのですから、その情報はどんどんヴァージョンアップされ続けています。対して、海外で活躍する日本人の歌手は減少する一方。このまま行くと日本の劇場でも日本人の歌手の出番は減っていくばかり、という危機的状況が、実は目の前に迫っているのです。
(2018年1月19日「パオロ・ファナーレ&菅英三子リサイタル」プログラムに加筆・転載)

〈河野典子プロフィール〉
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982〜89年在伊。帰国後音楽評論家としてイタリア・オペラを主とした公演批評、来日アーティストのインタヴューなどを「音楽の友」「GRAND OPERA」などの各誌に執筆するほか、来日アーティストのプログラム執筆やCDライナー・ノーツの翻訳、NHK BS〈クラシック倶楽部〉の歌詞字幕などを担当。

2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。若手の育成や録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に『オペラ・ハイライト25』(学研)。2017年3月、イタリア・オペラ58作品の「あらすじ」や「聴きどころ」を詳説した『イタリア・オペラ・ガイド』(発行フリースペース、発売星雲社, 2017)を出版。またNHKFM「オペラ・ファンタスティカ」でも案内役を務めている。

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オペラの世界7~インタヴューで垣間見たアーティストの素顔(2) バルバラ・フリットリ
オペラの世界6~インタヴューで垣間見たアーティストの素顔(1)
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オペラの世界7 インタヴューで垣間見たアーティストの素顔(2) バルバラ・フリットリ

Buongiorno a tutti!

今日は好評連載中のオペラブログ第7弾をお送りします。Buona lettura!

これまで雑誌のインタヴューを通して、数多くの来日アーティストにお目にかかることができた。嫌な思いをしたことはない。直前でインタヴューをキャンセルした気難しいメゾや、イタリア語でインタヴューを受けると言いながらその場で、できないと言い始めた東欧圏のソプラノもいたけれど、思い出してもトラブルらしいトラブルはそのふたりぐらいで、イタリア人に限らず、皆さん紳士的で、穏やかで、こちらがどれほどつたないイタリア語であろうと一生懸命に質問を理解しようとし、誠実に答えてくださった。それも超一流の演奏家になればなるほどに、他人への気遣いが細やかなのである。彼らに会う度に、あるがままの、人としてのスケールの大きさに私は圧倒される。そうした人たちと話ができることは、この仕事の役得であり、この上なく幸せな時間だ。

複数回インタヴューさせていただいたアーティストの方は、いまもお目にかかれば「元気か?」と声をかけてくださる。ありがたいことだし、嬉しい。だが、個人的に信頼関係が築けたアーティストは、といえば、それはけっして多くない。かつ、その数少ない本当の友人たちを私は食事に招待したこともない。逆にご馳走になってしまったり、一緒にスーパーに買い出しに行っても、結局は手料理を振舞ってもらったり、招待券を手配してもらうことはあっても、私が歌舞伎や能にご招待したこともない。いつも私は彼らのお世話になるばかりで、何も彼らのお役になど立ったことがないのが実に情けない。

彼女との出会いは2005年のサン・カルロ歌劇場来日公演の時だった。彼女の名はバルバラ・フリットリ。初インタヴューの時も初対面の人間を緊張させない、温かな雰囲気の持ち主だった。その時だったか、あるいはその次のインタヴューの時だったか定かには覚えていないのだが、彼女が帰りがけに「あなたとは一般的に言うアミーカ(amica:女性の友人)ではない、本当の友人になれる気がする。本能的にそう思うの」と言って去った。

その後、ご存知のように世界的なプリマ・ドンナとして活躍してきた彼女だが、一番の思い出は、東日本大震災の数ヶ月後のニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の来日公演のことだ。原発事故を受けて来日をキャンセルする歌手の多い中、彼女はドイツのディアナ・ダムラウらと予定通りに来日し、素晴らしい舞台で日本の聴衆を喜ばせてくれた。

大震災の直後、何人ものアーティストの方から「無事か?」というありがたいメールを頂戴した。「おや?バルバラから何も言って来ないな・・・」と思った私は、「おーい、生きてるよー!あなたの東京のお友達もみんな無事に違いないよ」とメールをした。それに彼女はすぐに返事をくれた。そこには「怖くて、メールが書けなかったの。もしも返事が来なかったらどうしようと思ったら、恐ろしくて・・・」と書いてあった。

その上で私は「今回の来日は見合わせたほうがいい。まだ余震も続いていて、いつまた大きな揺れがくるかわからない。原発事故の本当のことは、日本では海外の新聞の電子版でも購読しなければわからない状態で、日本政府は何も国民に知らせていない。そんな状況の今、来日するのはあまりに危険すぎる。今回キャンセルすることは非常識でもなんでもない、当たり前の行動だ。まず自分の身を守って」とメールを書き送った。フランス政府が震災直後、在日フランス人たちを即刻、日本国外に避難させるために特別便を無料で飛ばし、ヨーロッパ各国の政府の指示により日本を離れようとする外国人で、関西空港の周囲どころか、大阪のホテルまで欧米人で満員になってから、まださほど時間が経っていなかった頃だ。すぐにそのメールに返事が来た。そこには「予定通り行きます。私は震災に遭って辛い目に遭っている人たちを見捨てるようなことはできない。辛いときこそ、あなた方日本人を私たちは応援している、一緒にいる、ということを示したい。娘は日本に行くなら空港で縋り付いてでもママを止めると泣きじゃくっているけれど、私は行きます。私が今、あなた方のためにできることはそれしかない。できることなら、地震と津波の被害に遭われた方々の元に慰問に行ってヴォランティアで歌いたい。辛い思いをしている人たちを慰められなくて、なんのための歌手なのでしょう」と書かれていた。私は今度は「現時点では外国人が東北で演奏会をするというのは受け入れる側の準備ができないし、かえって現地の人たちの迷惑になるからそれは諦めて」と慌てふためいて彼女を止めることになった。

後日談になるが、この来日公演で彼女は当初、ヴェルディの《ドン・カルロ》のエリザベッタを歌う予定で、本人もそのつもりで日本行きの飛行機に乗った。
日本に到着したところ、METのゲルブ総裁が空港で彼女を待っていた。彼とともに迎えの車の座席におさまると、ゲルブ氏が口を開いてこう言ったのだという。「バルバラ、頼みがあるんだ。実は《ラ・ボエーム》のミミで来日予定だったソプラノが今になってキャンセルして来た。悪いが、君がミミに回ってくれないだろうか」。普通であれば、ありえないオファーである。彼女自身も「それを聞いたときは驚いて、車から転げ落ちそうになった」とのちに語ってくれた。実際、こんな失礼な話はない。その場で「No」と言ってヨーロッパ行きの飛行機に飛び乗って帰ってもなんら不思議のない扱いだ。だが彼女はそれを承諾した。なぜなら彼女は、「傷ついた日本の人たちのために」と来日を決めたからだ。本番までの数日で、彼女はミミをさらい直し、指揮者との稽古や舞台での打ち合わせをこなし、本番でそれは優しく、温かいミミを聴かせてくれた。エリザベッタにはポプラフスカヤが急遽呼ばれ、彼女の代役を無事果たした。

自分が逆の立場で、あの時期の日本に行っただろうかと考えれば、キャンセルした歌手たちを責めることはできない。あのとき来日してくれた歌手や指揮者、仲間が行かないと聞いても来てくれた合唱団、オーケストラのメンバー、劇場スタッフたちは、あの頃日本にいた我々よりもずっと情報を得ていて、危険性も承知していた。彼らはその中で自ら決断して、来日してくれたのである。私は今も彼らのその勇気ある決断に感謝している。

バルバラが、歌劇場の来日公演で出演しているオペラの批評当番になることがある。それを伝えると彼女はこう言う。「ノリコ。友達だからといって遠慮はいらない。私もプロ、あなたもプロ。本当のことを構わず書いて。」
今回もこのブログにあなたのことを書きたいが構わないか、と尋ねたときも彼女からはこう返事があった。
「もちろん、構わないわよ。なんでも心置きなく、好きなように書いてちょうだい!」
……彼女の爪の垢でも煎じて呑みたい。私は事あるごとにそう思うのである。(河野典子)


バルバラ・フリットリBarbara Frittoli

テバルディ、リッチャレッリらの流れを汲む、イタリアの伝統的な柔らかく、かつ厚みのある声を持つソプラノ・リリコ。モーツァルト、ベルカント・オペラからヴェルディ、プッチーニ、最近では《道化師》のネッダや《アドリアーナ・ルクヴルール》のタイトル・ロールなどヴェリズモ・オペラも手掛ける。今年6月にもバーリ・ペトゥルッツェッリ歌劇場の日本公演で《イル・トロヴァトーレ》のレオノーラを歌うことが予定されている。

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2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。若手の育成や録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に『オペラ・ハイライト25』(学研)。2017年3月、イタリア・オペラ58作品の「あらすじ」や「聴きどころ」を詳説した『イタリア・オペラ・ガイド』(発行フリースペース、発売星雲社, 2017)を出版。またNHKFM「オペラ・ファンタスティカ」でも案内役を務めている。

Novita’!
オペラブログを執筆されている河野典子さんの講演会が2月17日(土)、文京シビックセンターにて開催されます。テーマは「《ラ・トラヴィアータ》はなぜ世界中で愛されるのか」。日本ヴェルディ協会理事も務められる河野さんによる、ヴェルディについての専門的なお話が聞けるまたとない機会です。参加方法等詳細は下記URLよりご覧ください。
日本ヴェルディ協会HP

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オペラの世界6 インタヴューで垣間見たアーティストの素顔(1)

Buongiorno a tutti!

今日は好評連載中のオペラブログ第6弾をお送りします。
日本にも深い縁のあるテノール歌手ジュゼッペ・ジャコミーニ氏についての心温まる素敵なエピソードです。Buona lettura!

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今回から3回ほど、アーティストたちの舞台ではなく、インタヴューの時や雑談で垣間見せた彼らの素顔を書いてみることにします。

ジュゼッペ・ジャコミーニ(T)
ジュゼッペ・ジャコミーニ(Giuseppe Giacominiは1940年生まれ。日本には1989年以降、藤原歌劇団《アイーダ》《ノルマ》《運命の力》《アンドレア・シェニエ》、新国立劇場《道化師》《蝶々夫人》、フィレンツェ歌劇場来日公演《アイーダ》などのオペラ公演、2006年にはデビュー40周年リサイタル(東京芸術劇場)、09年ニューイヤー・オペラパレス・ガラ(新国立劇場)などに出演。骨太なテノーレ・ドランマーティコ、テノール・ロブストと呼ばれる力強い声と端正な歌で聴衆を魅了してきた。


インタヴュー中に起こった思わぬ事態
ジャコミーニさんとは、何度かお話しする機会がありました。いつもとても穏やかで、どちらかというとシャイな方で、質問にも淡々とした、けれど優しい口調で答えてくださいました。一つ質問を投げかけるとどこまでも脱線して面白い話を続けてくれるようなタイプではなく、訊かれたことに対して、一つ一つ丁寧に真摯に答えてくださる、そんな方でした。

彼との思い出で一番大きいのは、私が稚拙ながら通訳として入っていた雑誌の鼎談で起きた予期せぬ事態の時のことです。もうお亡くなりになられましたが、インタヴュアーのお一人でいらした日本の音楽評論家の方が、ジャコミーニさんとのお約束ということで、体調がお悪いのに無理を押して予定通り鼎談が行われました。評論家の方が脂汗をかきつつやっとのことで鼎談が終了した時には、彼はもう立ち上がるのも難しい状態になり、救急車を呼ぶ事態になりました。その先生が苦しそうな呼吸の中で私に「マエストロに先にお帰りいただいて・・・」とまずおっしゃり、ジャコミーニさんに迷惑をかけまいと気を遣っておいでだったことを思い出します。

慌てず騒がずその場にいて下さったマエストロ
私が気が動転したままで、ジャコミーニさんに「ありがとうございました。どうぞお先に・・・」と申し上げた時、ジャコミーニさんはきっぱりと「私のことはいい。まず彼の面倒を見てあげなさい。」とおっしゃり、部屋の隅にマネージャーの方とお二人で静かに立たれたままで「ベルトを緩めて差し上げなさい。」「首元のボタンを外して緩めてあげなさい。」と冷静に私に指示をしてくださいました。応急処置の知識のある劇場の当時の広報担当者が的確に対応して下さる中で、私たちは救急隊の到着を待ちました。その間にも評論家の方は、苦しい呼吸の中で「マエストロはお帰りになられたか?」と私にお尋ねになるのです。私が評論家の先生の視線に入らない位置で立っておられるジャコミーニさんを見上げたとき、日本語がお判りなるはずもないマエストロが、静かに首を小さく横に振られて「言うな」という仕草をされたのです。「お帰りになられました」とお伝えすると先生はほっとなさっておられました。

それから救急隊が到着し、応急処置をして部屋から担架が運び出されるまで、20分近くかかったと思います。その間ジャコミーニさんは、マネージャーさんとふたり、(そんな時にこんなことを思ったというのは、なんとも不謹慎なのですが)この上なく美しい立ち姿で、まるで舞台の上で燕尾を着て立っておられるように、すっくと立ち、微動だにせず様子を見守っていてくださいました。

救急隊が出発し、嵐が去った後のように静かになった部屋の中で「マエストロ、ありがとうございました。申し訳ございませんでした。でも私はマエストロが見守ってくださっていたことがどれほど心強かったかわかりません。」と申し上げたとき、ジャコミーニさんはいつもと同じ穏やかな口調で「よかった。あとは彼が無事回復してくれることを僕は心から祈っているからね。彼に大事にするように伝えてください。」とおっしゃり、何事もなかったように静かに部屋を出られました。エレベーター前までお見送りすると「帰り道はわかるから大丈夫だよ。あなたも大変だったね。」と労ってくださり、帰って行かれました。


それからも気にかけていて下さったマエストロ

その後、評論家の体調も回復、無事退院された時にもマネージャーさんを通じて退院されたことをマエストロにお伝えしましたが、その翌年でしたか、再度来日された折のインタヴューで開口一番マエストロから「彼はその後どうしている?」と聞いてくださいました。ずっと気にかけていて下さったとのことで、その時は評論家の先生も日常生活に戻っておられましたのでそれをお伝えすると、「ああ、それはよかった。」と安心して下さったマエストロの優しいお顔を今でも思い出します。

数年前にマエストロご自身が倒れられ一時期は生命の危険もあったとのこと。今も療養生活を続けられながら、最近では病状も随分落ち着かれたと伺っております。マエストロの1日も早いご快癒をお祈りするばかりです。

河野典子


Giuseppe Giacomini

〈河野典子プロフィール〉
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982〜89年在伊。帰国後音楽評論家としてイタリア・オペラを主とした公演批評、来日アーティストのインタヴューなどを「音楽の友」「GRAND OPERA」などの各誌に執筆するほか、来日アーティストのプログラム執筆やCDライナー・ノーツの翻訳、NHK BS〈クラシック倶楽部〉の歌詞字幕などを担当。

2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。若手の育成や録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に『オペラ・ハイライト25』(学研)。2017年3月、イタリア・オペラ58作品の「あらすじ」や「聴きどころ」を詳説した『イタリア・オペラ・ガイド』(発行フリースペース、発売星雲社, 2017)を出版。またNHKFM「オペラ・ファンタスティカ」でも案内役を務めている。

〈過去のブログ〉
オペラの世界5~「ベルカント」とは何でしょうか≪2≫~
オペラの世界4~「ベルカント」とは何でしょうか~
オペラの世界3~マエストロ ファビオ・ルイージ~
オペラの世界2~演奏家インタヴューの通訳~
オペラの世界1~アッバードとの稽古は「芸術を創り上げる喜びの時」でした~

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オペラの世界5「ベルカントとはなんでしょうか」《2》

Buongirono a tutti!

毎回好評の、音楽評論家・河野典子さんによる「オペラの世界」。今日は前回に引き続き「ベルカント」について皆さんと一緒に学びたいと思います!

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オペラの「原語上演」が世界中に普及したのは、実はここ30年ぐらいのこと。それまではそれぞれの国の言葉に翻訳されて上演されてきました。今や外国語を母語(マザー・ランゲージ)とする歌手によってイタリア語でオペラが歌われることが、当たり前になりました。しかし、ベルカント(唱法)のテクニックは、あくまでイタリア語を母語とするものなのです。そこで今回は、同じラテン系の母語を持つ歌手たち、あるいは、英語圏の歌手たちの特徴に触れながら、「ベルカント唱法」の話をもう少し掘り下げて書いたアントニーノ・シラグーザ(T)のリサイタル・プログラムのエッセイ(「ベルカントとイタリア語、そして、イタリア人」)を転載します。

イタリアですら絶滅寸前のベルカントの歌唱技術
ベルカント・オペラが、イタリアの作曲家であるロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティといったイタリア人作曲家の作品を指すように、ベルカントという歌唱法は基本的にはイタリアの伝統的な歌唱法のことで、その伝統を継いでいるのは当然イタリア人……のはずなのですが、その法則が近年かなり怪しくなってきました。

今夜聴いていただく、アントニーノ・シラグーザ(T)は、その生き残りの一人とも言えるでしょう。これは以前ほかならぬシラグーザ自身が言っていたのですが、彼のようなイタリア人のテノーレ・レッジェーロ(あるいはテノーレ・ディ・グラーツィアTenore di grazia)の系譜は、彼を最後に途切れるかもしれない。そして実際、残念ながらそうなりつつあります。

歌手のレパートリーの考え方は時代とともに変化している

現在の状況を生んだ一因は、レッジェーロの音色だったパヴァロッティが、リリコからリリコ・スピントのレパートリーまでを歌い、かつそれが評価されたことにあります。生まれ持った声が明るく軽いテノールたちが、キャリアを始めて数年で、ベルカント・オペラを捨ててどんどん重いレパートリーに手を出すようになってしまいました。きちんとした訓練を積んでいない、いわば見切り発車の歌手が多くなったこともその原因の一つです。それこそ、パヴァロッティのようにしっかりとした技術があればこそ、ラダメスを歌いながらもネモリーノに戻ることもできたわけですが、そうした技術を修得していない若い歌手たちが、その時の自身の声に合わないレパートリーに手を出すことによって、あっという間にその人が本来持っていた声の魅力が失われ、ベルカント・オペラを「歌いきれなく」なってしまうという残念なパターンがとても多くなりました。

ラテン系の言語を母語にする歌手たちの場合
テノーレ・レッジェーロといえば、シラグーザのひと世代下にフアン・ディエゴ・フローレスがいます。素晴らしい歌手です。彼は、南アメリカのペルー出身。ペルーの公用語はご存知のようにスペイン語です。パヴァロッティと並んで三大テノールとして名を馳せたドミンゴ、カレーラスもスペイン出身。レッジェーロの分野では彼らよりもほんの少し上だったアルフレード・クラウスもスペイン出身でした。彼らは世界中の聴衆を魅了して来た超一流の歌手たちです。

しかし、彼らの歌唱は、イタリア人によるベルカントとは、どこか微妙に異なるのです。どこが違うのだろう、と実はずっと考えてきました。私は言語学者でも音声生理学の専門家でもないので、彼らの録音や実際の歌唱を聴きながら漫然と考えてきたに過ぎないのですが、どうもそれは母語の性質の違いによるようなのです。イタリア語とスペイン語。同じラテン系のとてもよく似た言語です。ラテン系にはフランス語も含まれます。印刷された文章を眺めると、これらの言語はとてもよく似ていますが、いざ話されてみると、発音の方法が大きく異なっていることがわかります。唇の先を細かく使い、(歌唱ではなく喋る時に)Rを喉の奥の方で、無音で発音するフランス語。イタリア語にはない「は行」の多いスペイン語(例えば「日本」はJapònハポンと発音されます)。そしてその「は行」は日本語の「はひふへほ」よりもずっと深いところで発音されるのです。イタリア語には語尾を呑み込む、あるいは曖昧な発音となる言葉はほとんど存在しませんが、その他の言語はそうではありません。また、イタリア語は歌われるとき、母音と子音が(ごくわずかな)時差を生じさせながら飛んで行きます。例えば「ダー」と歌われるときには「ダ・アー」と、伸ばしている音からは母音だけが聴こえてきます。フランス語も似た傾向ですが、スペイン語は、子音を巻き込んだままで「ダー」と聴こえて来ます。

イタリア人が歌う外国語、そしてドイツ人やロシア人が歌うイタリア語
イタリア人が歌うフランス語には、なかなかフランス語の持つちょっとシャレた雰囲気は出せません。ラテン系からは離れますが、イタリア人が歌うドイツ語は、なんだか青空の下でやたらに明るく健康的ですし、逆にドイツ人が歌うイタリア語は子音が強く、どこか言葉が重くなります。ドイツ語というのは本来滑らかに歌われる言葉なのですが、子音が多いという性質上、声は前に飛んで行くのではなく歌手の真上に立ち昇って行きます。ロシア人ともなれば、彼らはその豊かな体格と筋力を生かして自分の体を共鳴させて音にしていくため、彼らが歌うとイタリア語がものすごい馬力で歌われる感覚をこちらが持つことになります。

英語圏の歌手の特徴

英語圏の歌手にも独特の癖が出ます。素晴らしい歌唱テクニックの持ち主だったソプラノ・リリコ・レッジェーロのジョン・サザーランドは、オーストラリア訛りの英語の発音が、イタリア語の歌唱のあちこちに顔を出していました。アメリカのロッシーニのスペシャリストのメゾ、マリリン・ホーンにも同様のことが言えました。英語は歌う時に、口角がピッと張った状態になり、(ブロードウェイ・ミュージカルを思い浮かべていただければわかるように)白く美しい上の歯がよく見える状態になります。あれはショウ・ビジネスだから笑い顔を見せているのではなく、英語の性質によるもので、アメリカのオペラ歌手がイタリア語やドイツ語で歌う時の口元は、ヨーロッパ出身の歌手と比べて美しい歯並びがキラッと光って見える確率が全く違います。口角を張って喋る英語を母語とする歌手たちの発音は、それがイタリア語であっても意外と口の中の奥まったところでなされるのです。それらは良い悪いではなく、それぞれの母語の持つ「特性」なのです。

絶滅の危機に瀕しているイタリアのベルカント唱法

喋るポジションというのは、DNAに組み込まれているというか、母語の性格をどこまでも引きずり、後天的には変わりきらないものなのです。ですから厳密な意味では、ベルカントというのはイタリア語を母語として生まれ育った歌手にしかできないのです。しかし現代では、イタリア人であってもベルカント歌唱のテクニックをしっかり継承している歌手がほとんどいなくなってしまいました。イタリアのベルカント唱法の伝統は、文字通り消滅の危機に瀕しているのです。

(東京プロムジカ主催2017年7月4日「アントニーノ・シラグーザ テノール・リサイタル」プログラムより転載)


Antonino Siragusa

〈河野典子プロフィール〉
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982〜89年在伊。帰国後音楽評論家としてイタリア・オペラを主とした公演批評、来日アーティストのインタヴューなどを「音楽の友」「GRAND OPERA」などの各誌に執筆するほか、来日アーティストのプログラム執筆やCDライナー・ノーツの翻訳、NHK BS〈クラシック倶楽部〉の歌詞字幕などを担当。

2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に『オペラ・ハイライト25』(学研)。2017年3月、イタリア・オペラ58作品の「あらすじ」や「聴きどころ」を詳説した『イタリア・オペラ・ガイド』(発行フリースペース、発売星雲社, 2017)を出版。またNHKFM「オペラ・ファンタスティカ」でも案内役を務めている。

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オペラの世界4~「ベルカント」とは何でしょうか~
オペラの世界3~マエストロ ファビオ・ルイージ~
オペラの世界2~演奏家インタヴューの通訳~
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オペラの世界4 「ベルカント」とは何でしょうか 

Buongiorno a tutti!

今日は3月に新著を出版されたばかりの音楽評論家・河野典子さんにオペラの世界についてお話を頂きます。
これを読めばオペラを聴くのが益々楽しくなりそうです!

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拙著(イタリア・オペラ・ガイド)を執筆していた間、長らくお休みをいただいていたブログへの連載を再開させていただこうと思います。

今回は、イタリア・オペラを語る上で欠かせない「ベルカント」という言葉について、今年2月に演奏会のプログラムに書いたものを転載します。

イタリアのベルカントとは何か。
私たちはイタリア・オペラやイタリア歌曲を優れた歌手を聴くと、「ベルカント歌唱の技術に優れている」とか「ベルカントが素晴らしい」などとよく口にし、また文章にもします。
しかし、その「ベルカント(bel canto)」を具体的に定義しようとすると、果たしてそれはとても感覚的で曖昧なものなのです。

今回はその「ものさし」を言葉にしてみます。

まず、「ベルカント・オペラ」という場合、これは19世紀前半に活躍したロッシーニ(1792~1868)、ドニゼッティ(1797~1848)、ベッリーニ(1801~35)らの作品群を、「ベルカント歌い」も同様に、この時代の作曲家の作品を得意のレパートリーとしている歌手のことを指します。厄介なのは「ベルカント」と独立して使う場合です。

「ベルカント」という言葉は、イタリア・オペラ(イタリアの作曲家によるイタリア語の)歌曲の歌唱テクニックを評価するときに使います。「ベルカント」という言葉とセットのようにして出てくるのが、「リネアーレlineare」や「スル・フィアートsul fiato」といったイタリア語の単語です。

「リネアーレ」に歌うとは、例えば一曲のアリアの中で、フレーズごとに切って新たに一から盛り上がり始めるのではなく、その曲の最初から最後までが一本の線(リネア=ライン)で繋がっているように、音楽の流れを途切れさせずに歌うことを指します。

とはいえ、潜水競技ではないのですから、もちろん歌手は息継ぎもしますし、休符では音をきちんと切ります。

一例として、プールで長距離を泳ぐ様子を想像してみてください。

上手なスイマーは、クロールで泳ぎながら水の中でフーッと息を吐き、ちょっと顔を横にあげて息を肺に入れることを何気なく繰り返しながら何キロでも泳いでいく、あの感じです。
詩の一節ごとに現れる違う山(ピーク)をそれぞれ別個に新たに歌うのではなく、歌い初めからその曲の終わりまで一陣の風が丘の起伏を撫でるように吹いていくように歌う、と言ったらよいでしょうか。

もう一つの「スル・フィアート」は、直訳すれば「息の上(に)」です。これは前述の風を息として、「息(=fiato)の上に(=sul)乗せて歌う」という意味です。
孫悟空を乗せたキン斗雲は、スルスルと風に乗って飛んでいきます。その雲に乗ってどこまでも自在に飛んで行く孫悟空が、いわばベルカントの「声」なのです。

イタリア人は、実は日本人とさほど変わらない体格をしています。ドイツや東欧圏のような分厚い胸板や大柄な身体には恵まれていませんので、自らの身体を振動させた声を劇場全体に響かせることは物理的に難しい。そこで劇場の空気を巻き込むようにして「省エネ」で、より遠くまで声が届くように工夫されてきたのが「ベルカント」の技術です。いわば必要に迫られて発達してきた技術なのです。そのためには深く息を吸って、体全体を、固めるのではなく、逆に筋肉を柔軟に使い、かつ胸から上だけの浅い呼吸による歌唱にならないための「息の支え(アッポッジョ=appoggio)」も必要になります。自然に呼吸し、喋るような状況をオペラの歌唱でも作り出すのが「ベルカント歌唱のテクニック」の最終目的地です。ですがその域に到達するまでの努力は、並大抵ではありません。

ベルカントとイタリア語の密接な関係
ベルカントにはイタリア語の特質が大きく影響しています。一例としてドイツ語とイタリア語を比較してみましょう。ドイツ語はイタリア語に対して圧倒的にS、T、Pなどの子音が多く使われています。言葉の頭に3つの子音が重なって存在することも多々あります。そしてその子音が明確に発音されなければ、言葉として聞こえてきません。それに対して、イタリア語は母音が主となる言葉です。(ふだん喋る言葉ではなく、クラシック音楽における歌唱法に限っての話ですが)イタリア語では、母音を響かせることが第一義となります。子音が母音の流れを邪魔してはなりません。さらさらと流れる小川である母音の水の流れを、楔を打つように子音が止めてはならないのです。イタリア語の子音は、流れている母音の上に木の葉で作った舟(子音)をそっと乗せてやるだけで、言葉として聴衆の耳に届きます。ところが、言葉を立てるべく「子音をしっかり発音しよう」とすると、子音が息の流れを遮断してしまい、その時点でベルカントの歌唱から離れてしまうのです。

息の流れを止めないことと、明晰なディクションのバランス
息の流れを言葉が邪魔しないことを最優先にしていたのは、スペイン出身の名ソプラノ、モンセラート・カバリエでした。彼女は、息の流れを邪魔しそうな場合に子音を言わないなど「声の美しさ」を何よりも優先しました。彼女のフレージングの長さ、上から下まで均一な音色はベルカント歌唱の見本でもあります。現在は歌手に、より明晰な発音が求められます。ベルカントの技術に立脚してそれができる一人が、今夜お聴きいただくエヴァ・メイです。レッジェーロ系のベルカントの名手には、他にもレナータ・スコット、ルチアーナ・セッラ、マリエッラ・デヴィーア……何人もの名前が挙がりますが、人の声は指紋と同じで、それぞれ声質が違います。メイの声はその中でも中身のギュッと詰まった音質を持ち、モーツァルトやバロック音楽のレパートリーにも向いています。それが彼女の生まれ持った声質なのです。歌手は自分の声に合ったレパートリーを選んで歌っていくのが本筋で、彼女はそれを守ってこれまでキャリアを積んできました。


マリエッラ・デヴィーア
(photo-by-Corrado-Maria-Falsini)


モンセラート・カバリエ

その歌手の歌がベルカントと呼べるかどうかの判断基準を最後に一つお教えしましょう。聴いていて喉元がむず痒くなったり、聴き終わってこちらの身体が硬くなった感じのするときは、その歌手の呼吸が浅く、体に力が入って歌っている証拠。いい歌手を聴いたあとは、身体の中の、上から下まで息が自在に通って、気持ちよく帰路につけるものです。お試しあれ。
(東京プロムジカ主催2017年2月20日「エヴァ・メイ ソプラノ・リサイタル」プログラムより転載)

〈河野典子プロフィール〉
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982〜89年在伊。帰国後音楽評論家としてイタリア・オペラを主とした公演批評、来日アーティストのインタヴューなどを「音楽の友」「GRAND OPERA」などの各誌に執筆するほか、来日アーティストのプログラム執筆やCDライナー・ノーツの翻訳、NHK BS〈クラシック倶楽部〉の歌詞字幕などを担当。

2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に『オペラ・ハイライト25』(学研)。2017年3月、イタリア・オペラ58作品の「あらすじ」や「聴きどころ」を詳説した『イタリア・オペラ・ガイド』(発行フリースペース、発売星雲社, 2017)を出版。またNHKFM「オペラ・ファンタスティカ」でも案内役を務めている。

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オペラの世界3~マエストロ ファビオ・ルイージ~
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オペラの世界3 ~マエストロ ファビオ・ルイージ~

Buongiorno a tutti!

今日は河野典子さんがファビオ・ルイージについて話してくださいます!

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私これまでに指揮者のファビオ・ルイージ(Fabio Luisi)氏をインタヴューさせていただいたことが2回あります。

 

最初は、マエストロがまだドイツを中心に活躍していらした頃のこと。日本の劇場にイタリア・オペラの指揮でいらした時でした。そのときのマエストロは、英国仕立てを思わせるシックな三つ揃いのスーツをお召しでした。

イタリア人アーティストのインタヴューは多くの場合、ひとつ質問を投げかけると先方のお話しは限りなく、あちこちへと広がっていきます。(逆に言えば、こちらの質問の答えだけをいただいて、「さて次の質問ですが」という展開に持っていくのはとても難しいということでもあります。もしもそういった形で相手が興に乗ってお話しされているのを遮ると、大概はご機嫌が悪くなっていきます。)

 

ところが、そのときのマエストロ・ルイージは、こちらの繰り出した質問の内容にのみ、簡潔にお答えになられると、スッと黙ってしまわれます。下手をすると質問にたいして、SiかNoしかおっしゃらない。普段であれば、「それはどういうことですか?」「ほうほう、それでどうなりました?」などと合いの手を入れてお話しを伺っているだけで、時は飛ぶように過ぎてゆき、私はインタヴュー用に決められた時間内に終れるかどうかを心配するのですが、このときばかりは勝手が違いました。静寂に支配されてインタヴュールームの時計の秒針が時を刻む音が響き渡るようでした。

2度目のインタヴューは、マエストロが本拠地をドイツからニューヨークに移されてから、オーケストラの指揮で来日されたときでした。とあるホールの楽屋において、オーケストラのコンサート本番の直前(最終稽古と本番までの間)の20分間がインタヴュー時間として与えられました。前回の経験がありますし、神経質そうなマエストロの、それも本番寸前のインタヴューです。私は珍しく質問を箇条書きにして緊張気味にホールに出向きました。(他のアーティストのインタヴューには気楽に出向くというわけではございません。あしからず。)着いてすぐ、まずは舞台袖の扉の窓から舞台の様子を覗き込みました。

 

そこで私は自分の目を疑いました。そこには派手なピンクの花柄のシャツをお召しのマエストロの姿があったからです。柄の派手さは長袖のハワイのアロハシャツといった趣でした。

 

さて、稽古が終ってマエストロが楽屋に戻っていらっしゃいました。インタヴューを始めてみると、まぁなんとも楽しげにお話しになられること!それは私が心の中で「もしや前回とは双子でまったく性格の違うご兄弟?」とあらぬ疑いを抱いたほどでした。

 

本番寸前ですから、マエストロに本番前に音楽に集中する時間を作っていただかなければとこちらは気が気ではありません。インタヴューを15分を過ぎたあたりから、私は楽屋の時計をチラチラ見上げ始めました。それに気がつかれたマエストロが「大丈夫!あなたが時間の心配する必要なんてありませんよ。本番開始までにはまだ30分以上ある。僕は着替えるのにそんなに時間がかかりませんから。(笑)で、何の話でしたっけ、あ、そうそう、それでね……」と話を続けられたのです。

ほんの数年の間にこれほどまでに印象が変わった方は、マエストロが初めてでした。本来シャイな方のようですから、初対面の人間には緊張されたということもあったのかもしれませんが、ニューヨークというイタリア系の人々も多く住む開放的な土地柄が、元より彼の持っていた(であろう)イタリア人らしい、明るく人懐っこい部分を引き出してくれたように思えてなりませんでした。

 

それでは、また。

 

 

イタリア文化会館

イタリア語コース

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オペラの世界2 – 〜演奏家インタヴューの通訳〜

Buonasera a tutti!

今日は「オペラの世界」の新しいコーナーで音楽ライターの河野典子さんにあまり注目されない部分を紹介してもらいます。

お楽しみください。

 

〜演奏家インタヴューの通訳〜

イタリア語を使って来日演奏家のインタヴューをする場合、やはりその対象はオペラ歌手がもっとも多くなります。私自身、基本的には声楽関係あるいは指揮者でもオペラを振りに来日されたケースにおいてのみインタヴューをお引き受けすることにしています。しかし時には、空いているイタリア語通訳者が見つからないという理由で、指揮者はもちろん、器楽の演奏家の通訳に駆り出されることもあり、そんなときは(いつにも増して、かつ、付け焼き刃の)準備に大わらわとなります。

オペラのタイトルでも、たとえば日本では《椿姫》として知られるヴェルディのオペラの原題が《La Traviata》(ラ・トラヴィアータ:道を踏み外した女)であるように、質問者の話す日本語のタイトルが、イタリアではどう呼ばれているのかを知らなければ、こちらは先方に「どの曲の話をしているのか」をまずお伝えすることすらできないのです。イタリア・オペラであれば、その多くの原語のタイトルはなんとかわかりますが、たとえばドイツ・オペラの有名なワーグナーの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》は、イタリア語になると《I maestri cantori di Norimberga》(イ・マエストリ・カントーリ・ディ・ノリンベルガ)となります。事前に調べているときであれば「なるほどね…、ニュルンベルクはノリンベルガになるのね」などと感心する余裕もありますが、通訳の最中に突如出て来たときには、せめてドイツ語の原題である 《Die Meistersinger von Nürnberg》が口をついて出てこなければ万事休すとなります。それが交響曲、器楽曲の話ともなればなおのこと、冷や汗をかくぐらいでは済まされません。通訳を本業としていらっしゃる方々の知識量と日々の努力にはただただ敬服するばかりです。

ご縁があって何度か拙い通訳をさせていただいた弦楽器奏者のBさんは、質問する批評家が、自身のBさんの演奏に対する感想を滔々と述べられているのを私が冷や汗をかきながら訳していると、手元にあった雑誌から目を離すこともなく「彼の僕の演奏に関する感想を聞いてもしょうがない。質問になったら訳せ」とおっしゃりながら知らぬふりでページをめくられています。やっと(笑)質問にたどり着いたのでその内容を伝えると、彼はやおら話し始めました。ところが!その答えが質問に負けじと文学的で、かつ長いのです。なんとかして話を遮って日本語に訳そうとしても彼は構わず話を続けます。私にとっては、とてつもなく長い時間が経過していきます。業を煮やした私が「お願いだから訳させて!」と頼んだ(ほとんど泣きついた)ところ、表情一つ変えず、こちらを見るでもなく「お前なら訳せる。最後まで行くぞ!」とにべもなく却下。話はその後10分近く続きました。あとからそのときの録音テープを聞き直したところ“奇跡的”に訳した内容の大意は間違ってはおりませんでしたが、寿命が縮む思いでした。

これまで何百回とインタヴューを受けていらしたに違いない、とある超ヴェテランの指揮者は、やはり批評家の持論の展開を私が必死になんとかして通訳しようと試みていると、表情一つ変えず、私の方を見るでもなく批評家の顔を見つめたままで、小声でこう言われたのです。「シニョーラ、訳さなくてもいい。彼の考え方に興味はない。質問になったらそれだけを訳してくれればいいから」。こちらも下を向いてメモをとりながら小声でマエストロに「でも黙っていたら私が仕事をしていないと思われます」とお伝えしました。「ならばこうしよう。昨日は何を食べたかね?イタリア語はどこで勉強したんだ?イタリアでの先生は誰だったんだ?ああ、彼女の結婚式に僕は出席したよ…。僕に話しかけてさえいればいいんだから、構わないから君の好きな話をしなさい」と助け舟を出して下さったのでした。(しかし、通訳をするふりをしながらフリートークをしろ、というのも私にとってはイタリア語の口頭試問を受けているようでしたが…。笑)

自戒の意味を含めてですが、日本の批評家や記者の質問は大変回りくどく、持論を展開し尽くして、質問らしい質問もなく話し終わってしまう方が時々いらっしゃいます。記者会見などで、通訳さんが「すみません、ご質問はなんでしょうか?」と聞き返すことがあります。当該の質問者はムッとした顔をされますが、私は通訳さんへの同情を禁じ得ません。

こちらは実名を出させていただいてもよいと思うのですが、ヴァイオリニストのジュリアーノ・カルミニョーラ(Giuliano Carmignola)さんの通訳を仰せつかった折のことです。このときには数時間にわたり何本かのインタヴューが続きました。そのうちのおひとりは、実に的を射た簡潔な質問をされる方で、カルミニョーラさんも熱心に答えていらっしゃいました。話がバロックと現代の弓の違いになったときのことです。弦楽器に全く疎い私が内心「さて、困った、たとえ直訳はできても、いったいどういう違いなのか、私には実物のイメージがつかめない…」と思いながら訳しておりますと、カルミニョーラさんはその質問にスラスラと答えながら、万年筆をポケットから取り出すとテーブルの上にあったメモ用紙になにやら書き始められたのです。そしてそれをスッと私に渡して下さいました。開いてみたところ、そこには2種類の弓の絵が描いてあり、どこがどう違うかをきちんと説明して下さってありました。おかげで彼の言わんとしたことを適切に日本語で伝えさせていただくことができたと思っております。インタヴュー終了後に「なぜ私が弓のことがわからないと気付かれたのですか?」と伺ったところ「うん、お前の顔色が悪くなったから(笑)」と言われました。私が赤面したのは言うまでもありません。そのデッサンはいまでも大切な私の宝物です。

こんなふうにイタリア人特有の温かい方々に助けられた経験は、これまで山のようにあります。

では、このつづきはまたの機会に。

河野典子

 

イタリア文化会館

イタリア語講座

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オペラの世界: アッバードとの稽古は「芸術を創り上げる喜びの時」でした

Buonasera a tutti!

 

今日は新しいコーナーを紹介したいと思います。

イタリアと言えばオペラが思い浮かぶ方は大勢いらっしゃると思います。イタリア好きの方に限らず世界中に愛好家がいるオペラについてこれから少しずつ理解を深めていきたいと思います。

この企画に協力していただけるのは「音楽の友」などの各誌に執筆する音楽ライターの河野典子さんです。有名な歌手などとのインタビューを通して見えてくるオペラの世界を一緒に覗いてみたいと思います。

このコーナーの第一号として、「リゴレット」などで有名なバリトンのLeo Nucciを紹介します。

 

 

Leo Nucciレオ・ヌッチ(バリトン)


1942年生まれ。現代を代表するヴェルディ・バリトン。

特に《リゴレット》のタイトルロールは彼の当たり役と言われ、2014 年4月4日のウィーン国立歌劇場での公演で同役出演500回を祝う。2013年のミラノ・スカラ座歌劇場来日公演においてもそのリゴレット役で圧倒的な存在感を示し、聴衆の喝采を浴びた。

 

 

 

アッバードとの稽古は「芸術を創り上げる喜びの時」でした

 

――あなたの日本デビューは、アッバード指揮によるスカラ座の《セビリャの理髪師》でした。

レオ・ヌッチ(以下N)マエストロ・アッバードが、スカラ座で最後に振ったオペラ公演となった84年の《セビリャの理髪師》でも僕は同じくフィガロを務めました。彼は生まれながらの並外れた才能の持ち主である上に典型的なイタリアン・スピリッツの持ち主で、ロッシーニの数々の作品にしみこんでいるイタリア人の陽気さを伝えることができました。僕がスカラの合唱団員だった頃のポネル演出の《チェネレントラ》も素晴らしい公演でした。録音で参加した《ランスへの旅》も作品の美しさが再発見されたのみならず、やっていてとても愉しかったし、音楽的にも、声楽芸術としても高いレヴェルのものでした。彼はロッシーニ指揮者としても超一流でした。

81年の来日公演のとき、こんなエピソードがありました。《セビリャ》の楽日、歌手たちとオケがアッバードにいたずらを仕掛けて、歌のレッスンの場面で、マエストロに内緒で伯爵役のアライサとバルトロ役のダーラが2人で《トロヴァトーレ》のマンリーコのアリア“見よ、あの恐ろしい炎を”を歌う準備をしていました。ところがアッバードの方がうわてで……実は僕が一枚噛んでいたんですが……、その瞬間、マエストロは何の迷いもなくあの有名なアリアを振り始めた。それにはメンバー全員がびっくりして、そのあと爆笑の渦でした。

 

――あなたはスカラ座で70年代の終わりからアッバードの指揮で《ドン・カルロ》のロドリーゴ、そして《シモン・ボッカネグラ》のパオロを歌い、83年には《ドン・カルロ》(フランス語版)の録音にも参加されました。そして90年にはウィーン国立歌劇場でも彼の指揮でシモンを歌っていらっしゃいます。その10年ほどの間で、アッバードのヴェルディはどのように変化していきましたか。

彼はとてもロマンティックなスタイルの持ち主でした。それはシンフォニーのレパートリーでも同じだったと思います。偉大な芸術家の提示する音楽は、常に変化する、というより、変わらねばならない、と僕は思っています。その点においてもアッバードは本物の芸術家でした。そして彼は他者に対して常に寛大であり、社会的な問題の解決にも尽力した人でした。それこそがヴェルディを演奏する者には欠かさざるべき資質なのです! なぜならヴェルディが飾りもののきれいな音楽を書いた人ではなく、人の心の琴線に触れる人間の本質をえぐる音楽を書いた人だったから。そしてアッバードには、そのヴェルディの音楽を再現できる力がありました。彼とは《ドン・カルロ》の他に《アイーダ》も録音しました。あの頃はまだ……残念ながら、生きた感情の流れを伝えるクラシック音楽に適しているとは言いがたい……スタジオでの録音でした。しかしアッバードはそのカリスマ性と、あの微笑みで、皆を音楽の素晴らしい世界に導いていったのです。

 

――アッバードがオペラ公演を作り上げて行くとき、彼は歌手とどのように関わってきたのでしょうか。

アッバードとの稽古で「悪夢のような思い」をしたことは一度もなく、それはいつも「芸術を創り上げる喜びの時」でした。それは歌手だけでなくオーケストラのメンバーにとっても同じだっただろうと思いますよ。彼には“呼吸のセンス”というものがありました。それは歌の分野だけでなく、彼の音楽全体に言えることでしょう。彼が歌手たちに無理なことを押し付けたことはありませんでした。それは彼の考え方が柔軟であったと同時に、問題を解決するために実にいろいろな方法を知っていた、彼だからこそ可能だったことと言えましょう。

 

――イタリアの音楽界にとってクラウディオ・アッバードとはどんな存在でしたか。

イタリアの音楽界はこれまでの歴史で最も偉大な指揮者のひとりを、イタリアは卓越した文化人を失いました。そして僕もまた、ひとりの大切な友人を失いました。

 

 

インタヴュアー:河野典子

「音楽の友」2014年3月号より転載。なお、イタリア語によるインタヴュー原文は、レオ・ヌッチ氏のオフィシャル・サイトに掲載されています。

Leo Nucci Official Website

 

 

プロフィール

インタヴュアー:河野典子(Noriko Kohno)

東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982〜89年在伊。帰国後音楽評論家としてイタリア・オペラを主とした公演批評、来日アーティストのインタヴューなどを「音楽の友」「GRAND OPERA」などの各誌に執筆するほか、来日アーティストのプログラム執筆やCDライナー・ノーツの翻訳、NHK BS〈クラシック倶楽部〉の歌詞字幕などを担当。

2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に「オペラ・ハイライト25」(学研)。

 

 

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