オペラの世界9 「なぜ《ラ・トラヴィアータ》は世界中で愛されるのか」(1)

Buongiorno a tutti!

今日は好評連載中のオペラブログ第9弾をお送りします。
日本ヴェルディ協会主催の「名作シリーズ」講演会の第1回として、2017年2月17日、文京シビックスカイホールで講演会を行い、ヴィオレッタとジェルモンに焦点を当ててお話をしました。講演会では実際の映像を多く使い、それぞれの違いを観て、聴いていただきましたが、今回から3回にわけて、講演会の内容を《ヴィオレッタ編》と《ジェルモン編》、そして《演出編》に再構成してお送りします。今日はヒロイン、ヴィオレッタに関するお話です。
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《ヴィオレッタ編》
「歌う」ヴィオレッタと「演じる」ヴィオレッタ

第1幕におけるこのオペラで最も有名なアリアのひとつ、日本では『ああ、そはかの人か』という題名で親しまれてきたアリアでは、以前は舞台(や録音)でカットされてきた2番の歌詞で、ヴィオレッタの幼い頃からの「純愛への憧れ」が語られています。これが彼女がアルフレードとの純愛に大きく傾いていく布石となっています。
ヴィオレッタのモデルとなったマリー・デュプレシ(本名アルフォンシーヌ・プレシ)は、14歳でアル中の父親に体を売って稼いでくることを強制され、15歳には男の囲われ者になっていたと言われています。彼女は「そんな自分に相思相愛の男性が現れて、幸せになる夢が実現することはない」と、人生を諦めていたのです。

1980年代に私がミラノに留学していた頃には、このアリアについては「2番は歌われることはないから勉強しなくていい」とまで言われていました。これはイタリア人にとってのオペラというものが、少なくとも当時は、芝居としての完成度よりも声が優先されていたことを意味します。このあと「そんなバカなことを!」と我に返って自虐的に「私は楽しんで生きるのよ」と語るのが、これに続く華やかなカバレッタ『花から花へ』の部分になりますが、そこに歌手が余力を残しておく必要がありますし、同じメロディを2回繰り返して聴かせれることがイタリア人にとっては退屈であるのかもしれません。

 
カバレッタ「花から花へ」の最後の最高音「ミ♭」は、単なるおまけ
このヴィオレッタという役は、もとよりリリコのソプラノ(とても高い音を出したり、華やかなアジリタをコロコロと転がすことよりも、ト音記号の五線譜の中に収まる音域の音色が豊かな歌手)のために書かれています。ところが1950年代を中心に(実はオペラの舞台で本当に活躍したのは数年でしかない)天才マリア・カラスが、彼女独特の暗めの強い音色でこの役を見事に歌い演じ、かつ基本的には舞台でも最高音の「ミ♭」を決めていたことで、その後のーー特にスカラ座でのーーヴィオレッタ役のソプラノへの評価をとても厳しいものにしてきました。

イタリア人は、高音(ソプラノで言えば「シ」から「ド」のアクート、その上のソープラ・アクート)に対して、出るだけではなく、劇場を走るようなスピード感のある声を求めます。(アクートというイタリア語には「鋭い」とか「尖った」という意味があります。)長年、イタリアでこの役で成功するためには、この「ミ♭」が決まることが最優先されてきた感があり、普段であればルチーアなどを歌うリリコ・レッジェーロが、ヴィオレッタを数多く手掛けてきました。ところが、このオペラの第2幕以降は会話がほとんどで、高い音はあまりありません。その上第3幕でヴィオレッタは、死を前に弱っていくのですから華やかな技術を披露するシーンもありません。そのため第1幕のアリアが華やかに歌える歌手には、第2幕以降が難しい。しかし第2幕以降の心理表現に長けた歌手は、このカバレッタの最高音の存在ゆえに、この役を手がけることを躊躇してきました。
しかし近年、「楽譜どおりに演奏する」という考え方が主流となったことで、イタリアにおける、この最高音への「こだわり」もだんだん薄らいできました。実際に2017年ブッセートでのヴェルディ・フェスティヴァルでは、最後が楽譜どおり(1オクターヴ下の「シ♭」)で歌われています。

 
第3幕ではじめて出てくるLa Traviataという言葉
ちなみに第3幕は、ピアーヴェとヴェルディが、ヴェネツィアでの初演ということを意識したのか、あるいはモデルであるデュプレシの亡くなった2月初旬を意識してか、カーニヴァルの時期となっています。(デュマ・フィスが書いた戯曲での設定は、1月1日。)

第3幕でのヴィオレッタが、アルフレードが自分が生きている間に戻ってくることを待ち望むアリア『さようなら過ぎ去った日々よ』も以前は1番しか歌われませんでしたが、近年は2番まで歌われるケースが多くなってきました。ここの歌詞にもヴィオレッタの現実を見据えた深い絶望が描かれています。


La traviata spartito

 
喜びも苦しみももうすぐ終わりを迎えます。
お墓は生きとし生けるものすべての最後の場所。
涙も花も私のお墓に供えられることはないでしょう。
私のこの骨ばかりになった亡骸を覆うための
私の名を彫った十字架が立てられることすらないのね。
ああ、どうか「道を踏み外した女la traviata」の願いに微笑みを。
彼女をお赦しください、彼女をどうか受け入れてください、神様。
ああ、すべて終わってしまったのだわ。
(拙訳)

 
彼女のまるで辞世の句のようなこのアリアにだけ「ラ・トラヴィアータ」という単語が使われているのは、象徴的です。この単語を発するのが、ヴィオレッタ自身であること、オペラの大詰めで初めて語られることから、このアリアのこの作品全体における重要性、そしてこのオペラが、このひとりの薄幸の女性の生き様を描いた、ヴェルディには数少ないプリマドンナ・オペラであることの証左でもあるのです。
(講演・再構成:河野典子)

〈河野典子プロフィール〉
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982〜89年在伊。帰国後音楽評論家としてイタリア・オペラを主とした公演批評、来日アーティストのインタヴューなどを「音楽の友」「GRAND OPERA」などの各誌に執筆するほか、来日アーティストのプログラム執筆やCDライナー・ノーツの翻訳、NHK BS〈クラシック倶楽部〉の歌詞字幕などを担当。

2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。若手の育成や録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に『オペラ・ハイライト25』(学研)。2017年3月、イタリア・オペラ58作品の「あらすじ」や「聴きどころ」を詳説した『イタリア・オペラ・ガイド』(発行フリースペース、発売星雲社, 2017)を出版。またNHKFM「オペラ・ファンタスティカ」でも案内役を務めている。

 
〈過去のブログ〉
オペラの世界8~どうすればオペラ歌手になれるのか
オペラの世界7~インタヴューで垣間見たアーティストの素顔(2) バルバラ・フリットリ
オペラの世界6~インタヴューで垣間見たアーティストの素顔(1)
オペラの世界5~「ベルカント」とは何でしょうか≪2≫~
オペラの世界4~「ベルカント」とは何でしょうか~
オペラの世界3~マエストロ ファビオ・ルイージ~
オペラの世界2~演奏家インタヴューの通訳~
オペラの世界1~アッバードとの稽古は「芸術を創り上げる喜びの時」でした~

イタリア文化会館
イタリア留学

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Filed under: オペラの世界 — イタリア文化会館東京 11:00

UNHCR難民映画祭 2018

Buongiorno a tutti!

今日は「UNHCR難民映画祭 2018」のご案内です。

国連難民高等弁務官(UNHCR)駐日事務所、UNHCRの日本における公式支援窓口である国連UNHCR協会は、日本での難民問題啓発を目的に、世界中から集めた難民を取り巻く現状をリアルに感じることのできるドラマやドキュメンタリー映画を上映する「UNHCR難民映画祭」を、2006年より毎年開催しています。

13回目を迎える本年は、東京、札幌、名古屋の3都市で合計6作品を上映します。うち日本初上映は4作品、過去の難民映画祭で好評を博した2作品はアンコール上映です。

今年のテーマは「観る、という支援。」。難民問題に関心のない層にも気軽に参加してもらいたいとの思いで開催します。また、著名人、実際に難民問題解決に取り組む方々などを招いてトークイベントも行います。

9月7日(金)、8日(土)、9日(日)に東京で行われる上映会の会場は、当イタリア文化会館です。

その他、各会場における上映作品など、イベントの詳細は、下記リンクより公式サイトをご参照ください。

【公式サイト】http://unhcr.refugeefilm.org/2018/
【Twitter】 https://twitter.com/unhcr_rff
【Facebook】 https://www.facebook.com/unhcrrff/
【Instagram】https://www.instagram.com/unhcr_rff/

『ソフラ ~夢をキッチンカーにのせて~』
© Lisa Madison

『パパが戦場に行った日』
©Gregg Telussa

<インフォメーション>

開催日:2018年9月7日(金)~10月7日(日)
時 間:各作品の上映開始時間を下記のリンクからお確かめください。http://unhcr.refugeefilm.org/2018/venues/tokyo/
開催地:東京・札幌・名古屋
予約方法:ウェブサイト、往復はがきでの事前お申し込みが必要です。
*お申し込み締切日は、開催都市、申し込み方法ごとに異なります。詳細は公式サイトをご覧ください。
*当日券は、開映1時間前より受付にて承ります。先着順のため、なくなり次第終了となります。
料金:無料
主催:国連難民高等弁務官(UNHCR)駐日事務所特定非営利活動法人 国連UNHCR協会
パートナー:独立行政法人 国際協力機構(JICA)

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Filed under: お知らせ — イタリア文化会館東京 12:50

『ジャーニー 国境を越えて』刊行記念 フランチェスカ・サンナ氏 トークイベント

Buongiorno a tutti!

今日は絵本作家によるトークイベントのご案内です。

2016年にイギリスで刊行された絵本The Journeyは、全くの新人絵本作家の作品ながら、たちまち20ヵ国語に翻訳され、アムネスティCILIP特別賞(ケイト・グリーナウェイ賞)、全米イラストレイター協会ゴールド・メダル、エズラ・ジャック・キーツ賞次点など名だたる賞を受賞。世界に注目されるデビュー作となりました。


日本語版は9月頭に刊行予定ですが、先行イベントとして、来日されたフランチェスカ・サンナさんが、『ジャーニー 国境を越えて』(青山真知子訳 きじとら出版)がどのように制作されたのかを語ります。

イタリア出身のサンナさんから、独特なイラストレーションの秘密や、難民の子供を主人公に描くというテーマについて、お話を聞き出すのは、同じく海を渡って国境をこえる家族を追った物語を翻訳中の関口英子さん。

実際に会場で絵本を読んでいただきながら、作家からお話を聞くことができる貴重な機会をぜひお見逃しなく!

<インフォメーション>
開催日:2018年8月23日(木)
時 間:18:30-20:00 *終了後サイン会あり。
会 場:ブックハウスカフェ 2F
   (千代田区神田神保町2-5 北沢ビル)
参加費:1500円
予約方法:店頭、お電話(03-6261-6177)、メール(book@bookhousecafe.jp)のいずれかで、以下の情報をお知らせください。①お名前フルネーム(ふりがな)、②お電話番号、③ご参加人数

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Filed under: イタリアイベント情報 — イタリア文化会館東京 18:00

ゴブリン -CLAUDIO SIMONETTI’S GOBLIN- 来日公演2018

Buongiorno a tutti!

驚愕のライヴ&シネマ スペクタクル 第3弾が開催決定!
10/27(土)川崎クラブチッタにて、毎度大好評の映画と生演奏のスーパー・コラボ・ライヴが、更なるグレードアップを経て再上陸します!

ライヴは2部構成。第1部では世界の“マスターズ・オブ・ホラー”ジョージ・A・ロメロ × ダリオ・アルジェントの奇跡のコラボが生んだホラー映画の傑作『ゾンビ』を大スクリーンで上映し、その音楽を担当するイタリアン・ロック・バンド「ゴブリン」がサウンドトラックを忠実に再現してシンクロ生演奏します。

第2部では「ゴブリン・ベスト・ヒッツ・ショー」と題し、ゴブリン史上初めて、アルバム『ローラー(ROLLER)』を完全再現。新メンバーに女性ベーシストを加えた特別編成で、
ゴブリンの歴代ホラー映画サウンドトラックの名曲を含むスペシャル・ベスト・ヒッツ・セレクションを披露。さらに、現在スタジオレコーディング中のニューアルバムから、世界に先駆けて新曲をプレミアム演奏する日本限定のスペシャルプログラムです!

©Ferdinand Gnignera

ハロウィーン・ウィークに贈る超豪華プログラム!プログレッシヴ・ロックの粋を聴かせるゴブリンの渾身のパフォーマンスを見逃すことなかれ!

<インフォメーション>
◆開催日:2018年10月27日(土)
公演名:ザ・ベスト・オブ・イタリアン・ロック Vol.8 ゴブリン
会場:【川崎】CLUB CITTA'(http://clubcitta.co.jp/)
開場:16:00 開演:17:00 (終演予定 20:30)
入場料:有料(指定席/特別記念CD付スペシャル・チケット 前売:¥13,000(税込) ★全席指定 600席限定)
*チケットには、アーティスト秘蔵のアウトテイク音源を収録した完全限定のミニCDが含まれています。
*特別記念CDは公演当日にお渡し致します。
*入場の際にドリンク代¥500が必要となります。

主催:クラブチッタ/bayfm78「POWER ROCK TODAY」
企画制作・招聘:クラブチッタ
後援:イタリア大使館/イタリア文化会館/イタリア大使館 観光促進部/在日イタリア商工会議所
制作協力:Amy Ida(SFERA entertainment)
協力:Shin Katayama(http://www.italianmusic.jp/)/ディスクユニオン/株式会社フィールドワークス/株式会社ハピネット/カワサキ ハロウィン プロジェクト
Supported by:TOWER RECORDS
お問合せ:CLUB CITTA’ 044-246-8888
*演奏時間及び内容は変更になる場合がございます。その際のチケットの払い戻しは行いませんので、予めご了承ください。

★OFFICIAL SITE★ http://best-italianrock.com/
*前日に開催予定の大阪・梅田公演を含め、ライブ詳細に関しては、上記の公式サイトをご参照ください。

<チケットインフォメーション>
好評発売中!!

電子チケットぴあ 0570-02-9999 http://t.pia.jp/
ローソンチケット 0570-084-003 http://l-tike.com/
イープラス http://eplus.jp
楽天チケット http://r-t.jp/

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Filed under: イタリアイベント情報 — イタリア文化会館東京 18:00

オペラの世界8「どうすればオペラ歌手になれるのか」

Buongiorno a tutti!

今日は好評連載中のオペラブログ第8弾をお送りします。
Buona lettura!
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プロのオペラ歌手とは
オペラ歌手の第一線での活動期間というのは、他の楽器や指揮者と比べ、けっして長いとは言えません。それは声という楽器が体の中にある宿命なのです。
まず、本格的な声楽の訓練が始められるのは、変声期が完全に終わってからになります。女声は出産を経て、声域や声質に変化を起こすことがありますし、その後いわゆる更年期と呼ばれる年代に差し掛かると、男女とも声帯にそれまであった柔軟性がなくなるなどの変化が起き始めますので、若い時とは異なる声の使い方やレパートリー選択を工夫する必要に迫られます。声は、年齢とともに重くなる傾向にあるものの、だからといって行き過ぎた、ドラマティックすぎるレパートリー選択をすれば、声を潰すことに直結することにもなりかねません。この年代は人間的な成熟にともない豊かな表現ができるようになる頃でもあるので、歌手にはこの身体の変わり目を是非上手に越してほしいものです。

ただし、それができるのは、しっかりとした歌唱テクニックで、そこに至るまでも自分にあったレパートリー選択をしてきた歌手たち。今で言えば、70歳を過ぎても歌えるマリエッラ・デヴィーア、レオ・ヌッチ、バリトンの主役まで歌いこなすプラシド・ドミンゴなどが挙げられます。しかし現在は世界的に、まともなテクニックを身につけていない歌手の比率が高く、そんな年代まで声が持たないし、元よりそんなに長く歌っていく気もない、という歌手が増えています。円熟した大人の表現の出来る歌手が少なくなっていることは、オペラファンにとって寂しい限りです。

日本と欧米の声楽教育の違い
ヨーロッパの多くの国には、コンセルヴァトワール、コンセルヴァトーリオと呼ばれる音楽の専門学校があり、そこには幼い年齢から学校と並行して通うことができます。将来声楽家を目指すとしても彼らはまずそこで他の楽器を学びながら、音楽的な表現力や基礎的な素養を身につけていきます。(そうした環境により、ヨーロッパの歌手には、歌手の勉強と同時に大学で文学部や法学部あるいは理系の学部を卒業して、学位を持つ歌手が数多く存在するのです。)

そこからコンクールに優勝する、オーディションに合格するなどして、晴れてプロのオペラ歌手としての活動を始めます。欧米の歌手のデビューは、男女とも高声ほど20代前半が主流。欧米における歌手マーケットが、スカウトするのは(バスなどの成長に時間のかかる一部の声種以外は)その世代が中心で、コンクールなども30歳ぐらいまでが対象になります。大学院まで声楽を学んだ日本の歌手は、その時点で遅いスタートというハンディを背負っていることになります。
では、その中で頭角を現していくには何が必要なのでしょう。

日本人ならではの音楽性とソルフェージュ力
歌手の歌唱レヴェルがヨーロッパ出身の歌手と同程度ならば、残念ながら歌劇場は、ヨーロッパ出身の歌手を採用します。オペラの舞台では、東洋人の顔が入る違和感が否めないからです。こればかりは、異国の文化であるオペラをやる以上仕方がありません。

では、その中でも採用されるためには何が必要か。声の馬力では、残念ながら勝てません。逆にソルフェージュがきちんと出来て、読譜も簡単ではない新作オペラにも取り組める。しなやかで繊細な音楽性がある。日本人に多いレッジェーロ系の声で超高音がいつでも安定して歌えるetc. が、我々の「メリット」になります。言い換えれば、誰でも歌えるレパートリーだけでは、なかなか門戸はこじ開けられません。特に最近のように柔らかな声より、東欧の強い声が主流になっている時代ではなおさらです。かと言って、東欧圏の歌手の真似をしたところで、ほんの数年で声を失くすのがいいところです。

日本の声楽教育の弱点と現状
日本で大学院まで出ても、歌手にレパートリーがほとんど出来ていない、というのは、プロ歌手を目指す上で、海外の若手と同じまな板の上に乗ることさえできないことを意味します。いくらアリアが上手に歌えても、海外の劇場のオーディションでは「では、その前のレチタティーヴォからやってみて」とか「別の◯幕のシーンはできますか」と聞かれます。その時に「勉強したこともありません」「私はアリアしか歌えません」と言ったら、鼻で笑われて門前払いです。

若手も含めた海外の歌手のホームページをご覧いただくと、そこには必ず〈レパートリー〉のページがあります。そこに書かれているレパートリーとは、「この役だったら私はすぐにでも舞台で歌えます。だから仕事のチャンスがあれば私に連絡をください」というアピールなのです。残念なことに日本の大学院を修了した若手にレパートリーを尋ねて、いくつものタイトルを並べてきた場合、念のために「それは全曲歌えるのね?」と確かめると「いえ、アリアだけです」と平気な顔で答える人たちがまだ大勢いるのが実情です。 

中国、台湾、韓国などの声楽教育はついこの間までずっと日本より遅れていました。ところが私たちがそこにあぐらをかいているうちに、彼らは欧米の歌劇場のニーズを研究し、かつ国内の教育でそれなりにレパートリーを持たせた上で海外のオーディションに送り出すようになりました。
日本では留学=勉強ですが、彼らは欧米でブラッシュアップをしつつ、プロとして仕事をするために出て行きます。そして欧米の現場を踏んだ歌手たちが母国に戻って、そのノウハウを後進の学生に伝えているのですから、その情報はどんどんヴァージョンアップされ続けています。対して、海外で活躍する日本人の歌手は減少する一方。このまま行くと日本の劇場でも日本人の歌手の出番は減っていくばかり、という危機的状況が、実は目の前に迫っているのです。
(2018年1月19日「パオロ・ファナーレ&菅英三子リサイタル」プログラムに加筆・転載)

〈河野典子プロフィール〉
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982〜89年在伊。帰国後音楽評論家としてイタリア・オペラを主とした公演批評、来日アーティストのインタヴューなどを「音楽の友」「GRAND OPERA」などの各誌に執筆するほか、来日アーティストのプログラム執筆やCDライナー・ノーツの翻訳、NHK BS〈クラシック倶楽部〉の歌詞字幕などを担当。

2010年、東京都主催〈Music Weeks in Tokyo2010オープニング・シンポジウム〉(東京文化会館・小ホール)の司会を務めたほか、13年からはWOWOWのニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演番組〈メトロポリタン・オペラ〉に解説者として出演、また番組監修も務めている。若手の育成や録音・コンサートのプロデューサーとして現役歌手のサポートにも積極的に取り組んでいる。共著に『オペラ・ハイライト25』(学研)。2017年3月、イタリア・オペラ58作品の「あらすじ」や「聴きどころ」を詳説した『イタリア・オペラ・ガイド』(発行フリースペース、発売星雲社, 2017)を出版。またNHKFM「オペラ・ファンタスティカ」でも案内役を務めている。

〈過去のブログ〉
オペラの世界7~インタヴューで垣間見たアーティストの素顔(2) バルバラ・フリットリ
オペラの世界6~インタヴューで垣間見たアーティストの素顔(1)
オペラの世界5~「ベルカント」とは何でしょうか≪2≫~
オペラの世界4~「ベルカント」とは何でしょうか~
オペラの世界3~マエストロ ファビオ・ルイージ~
オペラの世界2~演奏家インタヴューの通訳~
オペラの世界1~アッバードとの稽古は「芸術を創り上げる喜びの時」でした~

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Filed under: オペラの世界 — admin@iictokyo.com 11:08  Comments (0)
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